にほんブログ村
にほんブログ村
*この記事は、2024年11月1日~4日にかけて巡ったツーリングの記録です。
よろしければ最初からお楽しみくださいね☆
DAY:1 祭畤大橋、栗駒焼石ホットライン、胆沢円筒分水
DAY:2-1 松尾鉱山、ガンダム理髪店
DAY:2-2 尻屋埼灯台
DAY:2-3 旧斗南藩の史跡関連
2024年11月3日(日)、晴れ!
この日は、宿泊したむつパークホテルを出発して大移動を開始!
まずは国道279号で南下し始め、下北道~みちのく有料道路で青森市内を目指しました。
ところで、この日の青森市の気温は15℃ほどと、それほど寒くはなかったのですが、
道中、ほとんどバイクの姿は無し・・・( ・・)ン?
すれ違うクルマから「バイクだよw」みたいな視線をときどき感じて、
あれ?ボクって変人扱い?( ゚∀゚; )ヒョーw
まぁ考えてみれば、11月なら北東北は雪が降ってもおかしくない時期ですからね~。
今回の旅はわりと良い天気に恵まれて助かりましたけど(^-^;)
ということで、やって来たのは青森市にある世界遺産、
三内丸山(さんない・まるやま)遺跡ですよ~( *´艸`)
公式サイトはこちら:特別史跡「三内丸山遺跡」
こちらの世界遺産の正式な名称は「北海道・北東北の縄文遺跡群」ということで、
旧石器時代(縄文時代)の大規模集落の跡地が保存・展示されている施設になります。
最近の研究では、日本の縄文時代は今から約16,000年前頃に始まり、
約2,500年前頃までの約1万年に渡って続いたとされているそうですが、
そのうちの約5,900年前頃~4,200年前頃にかけて栄えたのが、この三内丸山遺跡だそうです。
遺跡の広さは約40ヘクタールもあり、
そこに常時500~600人ほどの人たちが定住生活をしていたと推測されています。
日本の縄文時代の遺跡における最大の特徴は、「狩猟採集民でありながら定住生活をしていた」ということ。
この三内丸山遺跡でも、クリやクルミなどの木を栽培していた形跡があり、
エゴマやヒョウタン、ゴボウ、マメ類などの栽培植物も出土したそうで、
また川や海も近いことから豊かな水産物にも恵まれていたことでしょう。
そうした自然の恵みに支えられて、狩猟採集民でありながら大規模な集落が維持できていたのだと考えられています。
ちなみに、いわゆる「世界四大文明」(エジプト、メソポタミア、インダス、中国)は農耕牧畜民族が興した文明であり、
それ以前に見られた狩猟採集民の生活は貧しく、文化的には貧弱なものだったとするのが世界史の通説ですが、
日本で発見される縄文遺跡からは、芸術性に優れた土器や土偶、装飾品などもに見つかっており、
そこで暮らした住民は、高い芸術的センスや豊かな精神的世界を持っていたと考えられているんですよね。
さて突然ですが、ボクは古代史における一つのテーマとして、
「日本人はどこから来たのか?」という問いにとても興味を持っています!(^-^*)
(そうした興味から、各地の縄文遺跡などを訪ねて廻るのが好きなんですが)
その昔、ボクらが小学校・中学校で教わった歴史では、
「かつて日本人は中国~朝鮮半島経由で大陸から渡ってきた」と習いましたが、
最近の研究ではどうやらそうではないらしい・・・ということがわかってきているとか。
というのも、北海道・北東北で大量に発見されている「旧石器時代の遺跡」と同様のものは、
実は朝鮮半島ではほとんど見つかっていないらしく・・・
どうも時期的には朝鮮半島経由ではなく、
カムチャツカ半島経由で先に日本に来ていた人類がいた、との推測が成り立つそうです。
人種的にも、一般的に縄文人は顔の彫りが深くてガッシリした体格だったとされていて、
中国大陸ルーツのいわゆる「アジア人」とは違った系統なんだそうですね。
さらに日本人のDNAを調べると、ユダヤ人と共通する部分があることもわかってきたそうで、
しかしなぜか、その系統の因子は中国人や韓国人の中にはあまり見られないとか・・・!( ゚∀゚; )ヒョー
まぁ、古代史なんて「ほとんどが仮説」なわけで、妄想は膨らむばかりですがw
そんなことを考え始めると、もっと世の中のことを知りたいな~!なんて気持ちになるものです( *´艸`)
さて、博物館の屋内展示場から外の遺跡保存エリアに出てみました。
この日の青森市は、ちょこっと青空が見えてる程度の天気でしたが、
暑すぎないで散策するのにはちょうど良いかな~。
なだらかな丘に広がる敷地には、点々と復元された竪穴式住居が建てられています。
5,000年前の風景もこんな感じだったのですかね~(^-^*)
復元された竪穴式住居の目玉となるのは、この大型の建物でしょうか。
この大型竪穴建物は、長さ約32m・幅約10m・床面積約250平方メートルで、
日本最大級のものだということです。
中に入ると、ちょうどガイドツアーの参加者が説明を受けているところだったので、
こっそり混ざって聞いちゃいました~(・∀・)ニヤニヤ
(ガイドツアーは無料ですから、別にかまわないんでしょうけどw)
人の背丈と比べると建物の大きさが理解しやすいと思いますが、
中は広々として立派な造りです。
住居のほか、集会場や共同作業場などとして使われていたという説もあるそうですが、
縄文人に、これほど立派な建物を作れる技術力があったというのがスゴイですよね~!
他にも、高床式の倉庫と考えられる建物などもありました。
こちらも人の姿と比べてみると、意外と大きくて立派な造りですよね。
で、最後にご紹介するのが、三内丸山遺跡のシンボルとも言える「大型掘立柱建物」です!
遺跡からは、地面に穴を掘って柱を立てて作った建物の跡が見つかったそうで、
それを元に6本柱の大型高床式建物が復元されています。
柱の穴は直径2m、深さ2m、間隔は4.2mで正確に作られていて、
当時の測量技術の高さが窺い知れるとか。
さらに穴の中からは、直径1mのクリの柱が残った状態で見つかったそうですが、
木材の表面と底を焼き焦がして、腐食防止の加工がされていたと言うんですから驚きです。
そしてその時代の人々は、どうやってこんなものを建てたのかな~?∑(゚Д゚)スゲー!!
復元された建物を見上げながら、そんな空想を楽しみました♪
さて、遺跡の散策を楽しんでいたら、ちょうど午後1時過ぎになったので、
博物館の中にある「れすとらん五千年の星」でお昼ごはんにしましょうか~!( *´艸`)
メニューを見たら、栗やどんぐり、長芋が練り込まれた縄文うどんとか、
縄文古代米おにぎりとか、ちょっと"ひねり”の利いたメニューもありましたがw
ほたての塩ラーメンが気になったので、こちらをいただきました(^-^*)
澄んだ塩スープがとても美味でした☆
さらにもう一品欲しいな~ってことで、ほたて串もげっと~!(^-^*)
ちなみにこの食事が、この旅で一番マトモなお昼ごはんでしたよ~Ψ(`∀´)Ψ
以上、三内丸山遺跡のご紹介でした。
さてさて!
今回のツーリングはもともと、お盆休みに4泊5日の日程で立てた計画だったので、
この後は国道101号で五所川原市~能代市へと海沿いを走りながら、
途中でJR五能線の観光列車「リゾートしらかみ」を撮る!という予定でいたんですが。
休みの都合で4泊5日が3泊4日に短縮され、
しかも日が短い秋のツーリングってことで、
この日の予定が一番影響を受けちゃったんですよね~!∑(ノ∀`*)アチャー
要は、お昼を食べてお土産を発送し終わった時点で、時間は午後2時。
ここから国道101号経由で宿泊予定地の由利本荘まで走ると、
残りの距離は約260km、休憩無しでも4時間30分もかかるので、
まぁこれは厳しいなと!(^-^;)
仕方ないので、秋田自動車道で内陸をショートカットして、
最短距離で由利本荘まで向かうことにしました。
それでも由利本荘のルートインに着いた時には、
完全に真っ暗でしたけどね~(´∀`)オツカレ!
~つづく~
この日の走行距離=363.5km
―----
おひとつポチッと! 応援よろしくお願いします~☆( *・ω・)bグッ
にほんブログ村
にほんブログ村
最近のコメント