会津若松 ちょっとマニアックな?史跡巡り
今回の日記は、7月19~20日に行ってきたお泊まりツーの続きです。
(それにしてももう一週間経つなんて、早いよな~・^-^;)
朝、喜多方のお宿を出て、まず向かったのは「会津藩校 日新館」。
http://www.nisshinkan.jp/
会津藩の子弟は、10歳になるとこの日新館に入学し、
学問や武術など様々なことを学んだそうです。
有名な「白虎隊」の少年たちも、もちろんここで会津武士としての教育を受けました。
日新館はもともと、鶴ヶ城の隣にあったのですが、
戊辰戦争ですべて焼失してしまいました。
そのため、現在の施設は昭和62年に、郊外に移転・復元されたモノですが、
敷地の広さや建物の規模などは、ほぼ忠実に再現されているとの事でした。
館内では、当時の授業や生活の様子が、リアルな人形で再現されています。
これは、鶴ヶ城が落城したときの写真を元にした、ジオラマですね。
すごくよく出来ていてビックリしました!o(^-^)
今の日新館は、ちょっとした高台にあるので、とても眺めが良かったです♪
さて続いては、会津若松市内にて、
ちょっとマニアックな?歴史探訪を楽しみますよ~v(`∀´v)ウヒャ!
まずは、会津若松の駅からもほど近い、
「融通寺(ゆづうじ)」というお寺さんの隣にある、「西軍墓地」から。
(福島県会津若松市大町2-7-45)
戊辰戦争では、会津藩の兵士のみならず、
西軍(新政府軍)側にも多数の戦死者が出ました。
ここには、150名ほどの将兵が埋葬されているそうです。
中央の大きな墓石は薩摩藩、左には大垣藩。
そして薩摩藩のすぐ右側の奥に見えているのが、長州藩の墓石です。
墓地の入口の門扉には、西方各藩の家紋がしつらえてありました。
左から順に大垣藩、薩摩藩、岡山藩、長州藩、佐賀藩、土佐藩の家紋だそうです。
続いて、七日町通りに面した「会津新撰組記念館」に立ち寄りました。
http://www.aizushinsengumi.com/
この施設は、会津藩稲富流砲術家の館長が、
長年にわたって収集・研究している、鉄砲や歴史資料などが、
多数展示されています。
こちらの所蔵品からも多数の武器が、
大河ドラマ「八重の桜」に出演したそうですよ~!o(^-^)
ポストの色合いも、素敵ですね!(笑)
で、お次は新撰組記念館から徒歩2分の「阿弥陀寺」にある、
新撰組が誇る剣客・斉藤一のお墓です。
勝ち目のない籠城戦に突入する会津を捨てて、
北に向かおうとする土方歳三と袂を分かち、会津に残った斉藤一。
死地に残った斉藤は、その後西南戦争などにも従軍しつつ、
最後は警察官となって天寿を全うしました。
その一方で、逃れた土方は函館で戦死・・・とは、歴史の妙を感じますよね~。
さて、新撰組記念館から国道252号を会津坂下方面に進むと、
すぐに小さな橋があります。
ここが、薙刀を持って新政府軍に立ち向かった、「娘子隊(じょうしたい)」の奮戦地、涙橋(柳橋)です。
涙橋からさらに500mほど行った場所には、
薙刀の名手で娘子隊の隊長、中野竹子さんの像が建てられています。
大河ドラマ「八重の桜」では、黒木メイサさんが演じた役でしたね。
凜々しくて、カッコ良かった!(*^_^*)
http://yae-sakura.jp/spot/sekihi/1169
そして、史跡巡りはさらにディープな方向へ・・・(笑)
最後は、新撰組が立てこもって新政府軍と戦った、神指如来堂(こうざしにょらいどう)です。
http://www.aizukanko.com/spot/150/
この場所での戦いで、斉藤一ら数名を残して、新撰組はほぼ壊滅・・・。
このお社が、当時からあるものかどうかは解りませんでしたが、
静かな田園風景の中で、しばし歴史に思いを馳せたのでした(*^_^*)
前から訪ねてみたかった史跡巡りを楽しんだ、今回の旅。
とても良い思い出になりました~(*^-')ノ
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