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2024年5月12日 (日)

春の東北周遊2024 DAY:1-3 宮城の震災遺構を訪ねて・その3

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね☆

DAY:0の記事はこちら(旅立ちの様子)

DAY:1-1の記事はこちら(旧・野蒜駅)

DAY:1-2の記事はこちら(南三陸町 旧・防災対策庁舎)

 

Dscn2832

 

さて、南三陸町の旧防災対策庁舎とモアイ像を見学した後は、

国道398号を南下して、次の目的地へ~!

途中にあった大きな堤防の上で記念撮影などをしつつ、大川小学校へと向かいました。

 

Dsc_0060_20240510212101

 

公式サイトはこちら:石巻市震災遺構大川小学校

 

駐車場にバイクを止めて施設の方へ向かうと、一人の男性からパンフレットを手渡されました。

お話を伺うと、大川小学校で津波に巻き込まれた児童78名のうち、

奇跡的に助かった児童4名の中の、一人のお父さんとのことでした。

 

Dsc_0069_20240510212201

 

ざっと大川小学校の遺構を案内してもらう中で、その男性が言いました。

「あそこに高台があるでしょう。あそこに逃げれば全員助かっていたんです」

見れば、高台の上には小さな子供を連れた家族の姿がありました。

「あんな小さな子供でも登れる、なんでもない場所なんですよ」

 

Dsc_0071_20240510212201

 

「私はね、生き延びたウチの子供からいろんなことを聞かされましたよ」

言葉の端々に、怒りと無念さがにじみ出ている感じです。

「当日、住民とかみんなが校庭に集まっている中で、

 校長がドラム缶を出してきて火をおこす準備を始めていたこととかもね」

「・・・え?暖を取ろうとしたんですかね?」

「そうですよ、その時、校長の頭の中には『逃げる』という考えはなかったってことですよ」

 

そのほか、

「唯一生き残った教員は、一人だけサッサと裏山に逃げていた」とか、

(裁判では『自分も津波に飲まれたが運良く逃げられた』と証言したらしい)

「子供達の中にも『はやく裏山へ逃げよう』と言ってた子もいた」とか、

その場にいた子供だからこそ、見聞きした話しばかり・・・

 

う~ん・・・これはもう完全に「トップの判断ミス」だよな~(-_-)

地震発生から、この大川小学校に津波が来るまで50分ほどあったそうで、

ご遺族の方々でなくても、「何をやっていたんだ!」と糾弾したくなる気持ちもわかりますよね。

 

Dsc_0065_20240510212201

 

しかし、続いて同じ敷地内に作られた「大川震災伝承館」を訪ねたら、

ボクのその『安っぽい怒り』は、見事に打ち砕かれましたよ。

 

震災伝承館でお話しを伺ったのは、ボランティアスタッフの方。

「私たちは、あくまでも中立の立場でご案内させていただくんですが・・・」

と、前置きした上で、

「実はここ大川小学校は、当時のハザードマップでは浸水が想定されていなかったんです」

「え~~~!?∑(´゚Д゚`)ビックリ!」

 

要は、北上川の河口から3.7kmほど上流に位置する、

大川小学校があったこの釜谷地区は、

かつてのチリ地震の時にも津波の被害に遭わず、

この場所まで津波が来ることは想定されていなかった。

それどころか、地震が発生してここが避難場所だからと、

地区の人たちも続々と避難して来ていた。

津波の犠牲になった児童74名と教職員10名のことがクローズアップされがちだけど、

当時の釜谷地区の住人約500人のうち、2割ほどの住人も津波で命を落としているというのは、

そういう理由もある、と教えてもらいました。

 

でも実際には、この災害で北上川を遡った津波(河川遡上型津波というらしい)は、

河口からはるか上流、約49km先まで到達していたそうで。

海から”たった3.7kmしか離れていない”大川小学校には、

先に河川を遡上した津波に襲われ、直後に陸から来た津波も合わさって、

2階建ての校舎は屋根まですべて津波にのみ込まれたそうです。

 

大自然の驚異の前に「人間の想定」なんてモノが、

いかにちっぽけでアテにならないか!!

 

Dsc_0077_20240510212201 

 

やはり、「津波が来るとわかったら、とにかく逃げる!」

これしかないんだと、廃墟になった小学校を眺めて思いを新たにしましたよ。

 

そしてこの後は、国道398号を快走して石巻のルートインに投宿。

気づきと学びの多い、有意義な1日になりました(^-^*)

 

続きはこちら DAY:2-1

 

―----

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コメント

アルカリさんこんばんは✨
大川小学校、そんな事があったのですか…
遺族からしたらたまらないでしょうね…
阪神淡路大震災の時村山首相がもっと早く自衛隊派遣を決断していれば…
社会党としては自衛隊自体反対の立場から使いたくなかった、とか…
知るか!!
って思いました
トップの判断ミス
やりきれません…

> ヨッシーさん

「校長が率先して、ドラム缶で火を焚く準備をしていた」なんて、
ほんとに驚きの話しでしたが!
当時の災害ハザードマップでは、
津波が想定されていなかったエリアだと聞かされて、
だから逃げようなんて思わなかったんだ・・・と、
感情がぐちゃぐちゃになりましたよ~( ;^ω^)

とはいえ、もっと「危機意識」の高い校長さんだったら、
こんなことにはならなかったんだろうな~。
タラ・レバを言っても仕方ないんでしょうけどね。

  お疲れ様です。

  児童のお父さんからのお話 参考になりました。

  わたしも数年前に石巻に行ったときに
 ボランティアさんから 復興のお金の無駄使いについて
 お聞きしましたが 地元の人と 役人との考えの違いに
 驚きました。

  役人は、本気で災害のことを考えないのだと
 悟っています。  (^^♪

> ことぶきさん

ボクも、大川小学校の関係者の方からいろいろと聞きましたが。
やはり「当時のハザードマップでは津波の浸水被害が想定されていなかった」
と言う点が、役所の『汚点』になるとかなんとか・・・( ゚∀゚; )ヒョー

それで、大川小学校の被害を伝える展示が、要するに『ぬるくなっている』と、
憤っていらっしゃいました。
「臭い物には蓋」とはよく言ったものですが、
事実は事実としてありのままに伝えて、
できれば後世の役に立てて欲しいと願いますよね~(^-^;)

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