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*この記事は、2013年9月21日~23日にかけて巡った、
北海道の産業遺産と廃墟の探訪記をまとめたものです。
よろしければ最初からお楽しみくださいね♪
☆その1の記事はこちら
☆その2の記事はこちら
さてさて!
羽幌炭鉱の廃墟群を堪能したところで、旅はまだまだ続きますよ~(^-^*)
羽幌のタクシー会社から苫前町へと戻り、続いて訪ねたのは・・・
苫前町の郷土資料館です!
実を言うとここに寄ったのは、当時の彼女のリクエストでしてね~( *´艸`)
彼女のお目当ては何かというと??
「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」の展示資料を見学すること~!∑(*`ロ´ノ)ノ
「三毛別ヒグマ事件」とは、
1915(大正4)年12月9日~14日にかけて発生したヒグマによる獣害事件のことである。
エゾヒグマが開拓民の集落を2度にわたって襲い、
死者7名・負傷者3名を出した、日本史上最悪の獣害事件と言われている。
詳しくはこちら:三毛別羆事件(Wikipedia)
それで、当時の彼女がなんでこの事件に興味を持ったかと聞いたら、
吉村昭の小説「羆嵐」(くまあらし)を何かで読んで知ったらしいんですよねw
それで、北海道旅行に行くんだったら苫前町のこの施設に行ってみたい、という話しになり、
しかも隣町には、ボクの憧れの場所だった羽幌炭鉱があるわけですから!(・∀・)ニヤニヤ
とんとん拍子に旅行計画が決まったんでしたっけね。懐かしいな~(笑)
ところで上の写真は、苫前町の郷土資料館に展示してあったヒグマの剥製ですが、
ま~ものすごい迫力でしたよ!( ゚∀゚; )ヒョー
特に手の爪なんてね、1本1本がちょっとした果物ナイフくらいの大きさがありましたから!(´゚Д゚`)ゲッ!
あれで襲われたとしたら、そりゃあ無事じゃ済まないよな~(^-^;)
最近は、全国各地でクマの被害が多発しているようなので、
ツーリングや鉄道写真、廃墟探索などで山奥に行く際は、
お互いに充分に気をつけましょうね~ヽ(´▽`)ノ
ちなみに「三毛別ヒグマ事件」について詳しくお知りになりたい方は、
ぜひWikipediaの記事や、吉村昭の小説「羆嵐」を読んでみてくださいませ。
というのも、あまりにも凄惨で地獄絵図のような出来事で・・・
申し訳ないのですがボクには書けません。。。悪しからず~( ;^ω^)
続きまして。
苫前町から日本海オロロンライン(国道239号)を南下して次に立ち寄ったのは、
小平町の「鰊(ニシン)番屋」でした。
今でこそ道の駅として多くの観光客で賑わってる場所のようですが、
当時はまだ史跡の「旧・花田家番屋(鰊御殿)」があるだけで、
あまり観光客の姿は見かけなかったような記憶がありますね~(^-^;)
ところで、北海道の開拓の歴史を語る上で、
『鰊(ニシン)』と『石炭』は重要なキーワードとして挙げられるかと思います。
例年、春先の2月~3月にかけて、北海道や青森県、秋田県あたりの日本海沿岸部には、
産卵のために大量のニシンが押し寄せる『群来(くき)』と呼ばれる現象が見られました。
春のニシンは身に脂がのっていて、食用としての需要はもちろん、
まだ化学肥料の発達していない時代にあって、
農地の土壌改良をするための「肥料」として、全国各地で飛ぶように売れたんですよね!
それに目を付けた漁師達が定置網を仕掛けて、文字通り『一攫千金』を狙った。
仕掛けた定置網にうまくニシンの大群が入ってくれれば、
わずか2ヶ月の漁期で、現在の価値に換算して1億円以上の売り上げが出た!というんですから、
そりゃぁ多くの人たちがこぞって「ニシンドリーム」を目指したことでしょう!(笑)
そうした漁師達=「ヤン衆」を束ねる網元や船主が、自分の威勢を競って建てたのが「鰊番屋」で、
一つの鰊番屋に100人以上のヤン衆たちが共同生活を送っていたそうですよ。
鰊番屋は、この小平町にある「花田家」の他に、
秋田県の遊佐町にある「青山家」なども有名ですが、
当時の建物としては破格の大きさを誇る、見事な造りが印象的なんですよ~!イイネ♪d('∀'o)
以上、小平町の「鰊番屋」のご紹介でした(^-^)b
*余談ですが、ヤン衆がニシン漁の船上で歌っていた唄が、北海道の民謡「ソーラン節」です♪
そして、この日の旅はさらに続き・・・
夕闇の迫る中で訪ねたのは、残念ながら今は廃線となった、
留萌本線の『真布(マップ)駅』です!
ここでのネタ写真は・・・
『真布でマップ!』(*ノ∀`*)キャッ
そう。。。このネタのためだけに、
ツーリングでもないのにツーリングマップルを持って行きました~!(笑)
そしてさらに、駅ネタは続きます~!Ψ(`∀´)Ψ
この日の最後に訪ねたのは、
アイヌ語由来で数々の難読駅がある北海道でも、指折りの難読駅名、
「北一已(きたいちやん)」駅です!(=^-^=)ニャハハ!
ここで、極めて個人的な話しをさせていただきますと。
ボクには「北井さん」という知り合いがいましてね、
この駅名表示ははじめ、「きた・いちやん」ではなく「北井ちゃん」にしか見えなかった!w
そんなことが引っかかってて(笑)この駅を訪ねてみることにしたのですがww
しかし、その後に調べてみると・・・
『北一已』とはアイヌ語で『サケ・マスの産卵場』を意味する『イチャン』を語源とするが、
開拓にあたった屯田兵が『北の大地で一にして已む』という意味を込めて付けた地名だと、
何かで読んで知りましてね・・・とても心を動かされたんです(^-^*)
*注記:『已む』は『やむを得ず』の漢字表記で、
ほかにどうすることもできない、しかたない。。。といった意味になります。
翻って当時、この地に入植した屯田兵たちは、
『死して後、已む(死してのち、やむ=死ぬまで努力し続けること)』の故事を引用して、
「この地に始まり、ここで成功する以外に道はない」という覚悟を込めて
「北一已」という地名を名付けたわけですね。
そんなわけで、とっぷりと日が暮れた後に訪ねた「北一已」駅。
いろいろな物語が頭の中を駆け巡って、今でも忘れられない小さな無人駅のお話しでした(*^-^*)
それにしても、いまこの日の旅を振り返ってみると・・・
廃線・廃墟・ダークツーリズム・産業遺産・秘境駅・難読駅と、
ネタ満載のとんでもなく「濃い一日」だったんだな~!ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!
以上、思い出深い、2013年の北海道旅行のレポートでした☆
~ おしまい ~
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