東北周遊2024秋 DAY:2-3 旧・斗南藩の史跡巡り
*この記事は、2024年11月1日~4日にかけて巡ったツーリングの記録です。
よろしければ最初からお楽しみくださいね☆
さて、尻屋埼灯台の絶景を堪能した後は、
むつ市内に向かいながら次のネタ巡りのスタート!(・∀・)ニヤニヤ
まずは県道6号沿いにある、「斗南藩史跡地」という公園?に向かいました~。
ということで、DAY:2-3のテーマは旧・斗南藩の史跡巡りです!イイネ♪d('∀'o)
「斗南(となみ)藩」とは、
戊辰戦争の動乱に幕府方の中心的勢力として戦って敗れた会津藩が、のちに再興させた藩のこと。
(この時、時代はすでに明治。斗南藩は日本史上、最後に興された藩でもある)
ボクはいわゆる「幕末好き」で、しかも会津びいきなものでして~(^-^)v
以前にむつ市の周辺に斗南藩の史跡があるのを知って、いつか訪ねてみたいと思っていたんですよね。
ちなみにこの「斗南藩史跡地」がある場所は、
かつて斗南藩の中心地として多くの建物が整備された、「斗南ヶ丘」という地域に該当します。
戊辰戦争に敗れた会津藩が、その後にたどった苦難の歴史・・・
(大河ドラマ「八重の桜」をご覧になった方ならある程度はご存じかも知れませんね)
1868年9月、会津鶴ヶ城の全面降伏を経て会津の領地を没収された会津松平家は、
翌年の明治2(1869)年に容保公の嫡子、容大(かたはる)を擁立して家名存続を願い出て、
ここ下北半島に3万石を与えられ、旧藩士とその家族約17000人が移住を決意。
藩の再興に着手したのでした。
ただ、斗南藩の『藩主』となった容大公は、当時まだ生後5ヶ月!と幼かったためw、
ボクの推し武官・山川大蔵(やまかわ・おおくら、後に「山川浩」と改名)が、
権大参事(ごんのだいさんじ=県の副知事)として藩政の指揮を執ったんですよね。
*山川大蔵は、戊辰戦争で日光口から攻め寄せる新政府軍を徹底的に封じ込めた陸戦の名手!( *'д')bイイ!!
他にも、敵軍に囲まれた会津鶴ヶ城へ戻るために、彼岸獅子の行列に扮して囲みを突破したとか、
後に明治政府に出仕して陸軍に入り、西南戦争で熊本城の攻略を成功させたとか、
とんでもないエピソードをお持ちの軍略家です(*ノ∀`*)キャッ
余談ですが弟さんには後の東大総長・山川健次郎、
妹さんには『鹿鳴館の華』と謳われた女子教育の先駆者、大山捨松がいますよ~。
しかし、公称23万石とも言われた会津藩時代から、わずか3万石へと減封させられたわけですから、
とにかく斗南藩の生活は貧しさに苦しめられたそう。
ボクも実際に下北半島を旅してみて良くわかりましたが、
寒冷な気候や湿地の多い土地がらで、おそらく会津と同じ農作物は育たなかったことでしょうね。
豊かな会津盆地で生まれ育った会津の藩士たちにとって、斗南の地はあまりにも過酷でした。
山川も斗南藩の土地について、
「みちのくの斗南いかにと人問わば 神代のままの国と答えよ」
(斗南がどんな場所かと聞かれたら、原始時代のままだと言っておけ)
と皮肉を込めて表したと言うんですから、その過酷さは想像に余ります(^-^;)
とはいえ、山川ら斗南藩の執政たちが立てた政策は、見るべきものがありました。
一つは、藩士に開墾をさせると共に養蚕を奨励し、
藍や茶、煙草、芋類の育成、瓦や煉瓦などの生産を推し進め、産業立国を目指したこと。
そしてもう一つが大湊港の開発です。
斗南藩は、むつ湾の北岸にあって天然の良港である大湊を「東北における長崎」と位置づけて、
将来の「北の大貿易港」として一大飛躍を目指したんですよね。
そうした試みは明治4(1871)年の「廃藩置県」によって、
藩自体が消滅したことにより頓挫しましたが・・・
その後、明治35年に旧帝国海軍が「大湊水雷団」を創設して大湊が軍港となり、
そして現在でも海上自衛隊の基地が置かれていることからも、
いかに斗南藩の政策が優れた「先見の明」を備えていたかが理解できますね~。
ということで、続いて訪ねたのは県道6号を少し尻屋埼方面へ戻った場所にある、
「旧・斗南藩墳墓の地」です。
先にも触れましたが、斗南藩の藩士達の暮らしは艱難辛苦の連続だったようですね(^-^;)
慣れない土地での飢えや寒さに加え、せっかく建てた住居も激しい風雪で倒壊し、
あるいは突然の野火で街が焼かれてしまうなど、筆舌に尽くしがたい困窮ぶりだったそうです。
そうした中で、志半ばで倒れた会津の人々が眠っているのが、この斗南藩墳墓の地。
ボクが訪ねた日も、墓石や慰霊碑の前には新しいお花や供え物が置かれていて、
地元の方達によって、静かに大切に守られている場所なんだなと感じました。
さてさて!
その後はむつ市の市街地を一度通り抜けて、
向かった先はJRの大湊駅のすぐ近く、「斗南藩士上陸の地」の記念碑です~( *´艸`)
戊辰戦争に敗れて「朝敵」の汚名を着せられたまま、この下北半島の地で再起を図った旧・会津藩。
新政府が借り上げた蒸気船で、新潟から海路にてこの地を目指してきた藩士とその家族達が、
最初に上陸したとされる場所が、この記念碑のある浜辺です。
ちなみにこの記念碑に使われている石は、会津鶴ヶ城の城壁の石と同じ材料のものだそうですよ~♪
会津鶴ヶ城の方角を向いて建てられた記念碑を背中にして、海を眺めてみました。
はるばる海を渡って来た会津の人たちは、この浜に着いてどんなことを思い描いたのでしょうね。
この日はほとんど風がなく、穏やかなむつ湾の風景が広がっていました。
そして、一通りの散策を終えたあとは、
宿泊予約をしてあった「むつパークホテル」にチェックイン。
盛りだくさんな一日は、こうして暮れていったのでした~(^-^*)
この日の走行距離=336.3km
―----
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コメント
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アルカリさんこんばんは✨
僕は大河ドラマを見るくらいなので歴史は好きですが、
そんなに詳しい訳ではないのですが、
アルカリさんはめっちゃ詳しいですね~😳
凄いです👍
投稿: ヨッシー | 2024年11月20日 (水) 17時47分
> ヨッシーさん
実は、2年前に下北半島を旅した時に、
今回紹介した「斗南藩」の史跡が結構あることを知りましてね~(*^^*)
「幕末好き、会津好き」を標榜するならこれは訪ねなくちゃイカン!と、
あらためて勉強したんですよ( *´艸)
やっぱり『歴史ネタ』は、背景の物語を知ってるほうが
より楽しめますからね~(^^)d
斗南藩のつながりで、大湊の軍港関連施設も訪ねたかったのですが、
今回は時間がなくて、次回のお楽しみになりました(^-^)/
投稿: アルカリ乾電池 | 2024年11月20日 (水) 23時25分