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産業遺産・廃墟探訪

2024年11月 8日 (金)

東北周遊2024秋 DAY:2-1 廃墟物件とネタスポットw

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*この記事は、2024年11月1日~4日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね☆

DAY:1 祭畤大橋、栗駒焼石ホットライン、胆沢円筒分水

DAY:2-1 松尾鉱山、ガンダム理髪店

DAY:2-2 尻屋埼灯台

DAY:2-3 旧斗南藩の史跡関連

DAY:3 三内丸山遺跡

DAY:4 女鹿駅で撮り鉄、帰宅

 

Dscn2997

 

2024年11月2日(土)、岩手県の朝は小雨模様。

泊まったホテルのエントランスでカッパを着用して、準備を整えます。

気温も低めだったので、少しゆっくりして9時頃にホテルを出発しましたよ~。

 

そして盛岡南インターから東北道に入って、再び北を目指したわけですが、

わりとすぐに、大好きな廃墟物件がある八幡平エリアに差し掛かるわけで・・・( ̄▽ ̄)ニヤ

走りながら「天気も悪いしな~、どうするかな~?」と散々悩みつつも、

結局は松尾八幡平インターで高速を降りて、アスピーテラインに寄り道を決定!

目的地は当然、旧・松尾鉱山の廃墟アパート群ですよ~( *´艸`)

 

Dscn3000

 

アスピーテラインの麓にある、八幡平ビジターセンターの辺りはまだ紅葉が残っていましたが、

ここまで標高を上げてくるとすでに落葉した後でした。

天気も悪いし、紅葉も終わってるし、誰もいないのも当然か・・・って、

でもこの「寂寥感」こそが、廃墟探訪の醍醐味!(*ノ∀`*)アハッ!

 

Dscn3001

 

最悪、霧で何も見えない・・・なんて事態も覚悟していたのですが、

行ってみたら小雨がぱらついているくらいで助かりましたw

 

Dscn3004

 

冬枯れの風景に埋もれた廃墟アパートのもの悲しさがハンパない!

もうすぐ雪に閉ざされ、そしてまた春が来て・・・巡る季節の中に取り残された廃墟たち。

しばし静かな眺めを楽しんで、次の目的地へと向かいました~(^-^*)

 

さて、あらためて松尾八幡平インターから高速に乗り直して、

安代JCT~八戸道へと進み、おいらせ町の下田百石インターで下りて国道338号へ。

ところで、おいらせ町の国道338号と言えば・・・??

 

Kimg2048

(2024年11月2日撮影)

 

はい!

2年ぶりの訪問となった、ガンダム理髪店ですね~!(*ノ∀`*)キャッ

前回訪ねた時の記事はこちら:晩秋のみちのく一人旅2022 DAY:2-1

 

Dsc_0065_20221108223801

(2022年11月4日撮影)

 

ちなみに、↑こちらが前回訪ねた時の同じ場所の写真ですが・・・

見比べると、ガンダムの頭もサザビーもちょっとキレイになってるし、

マリオの人形とか、作りかけのグフ?っぽいのが増えてるし、

もしかして若干進化している??( *'д')bイイ!!

 

Dsc_0069_20221108223901

(2022年11月4日撮影)

 

しかし、ポーズが決まっていてとてもカッコ良かったズゴックは・・・

 

Kimg2049

(2024年11月2日撮影)

 

残念ながら破壊されていました~!

∑(ノ∀`*)アチャー

 

 

 

・・・って、

もしかしてガンダムとの

死闘が再現されてる!?

( ̄ー+ ̄)キラーン

 

 

 

 

 

いや、単に経年劣化で

倒れただけでしょ・・・

( ゚∀゚; )ヒョー

 

 

つづきはこちら:DAY:2-2

 

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2024年11月 6日 (水)

東北周遊2024秋 DAY:1 岩手内陸地震の遺構と絶景道を訪ねる

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*この記事は、2024年11月1日~4日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 

DAY:1 祭畤大橋、栗駒焼石ホットライン、胆沢円筒分水

DAY:2-1 松尾鉱山、ガンダム理髪店

DAY:2-2 尻屋埼灯台

DAY:2-3 旧斗南藩の史跡関連

DAY:3 三内丸山遺跡

DAY:4 女鹿駅で撮り鉄、帰宅

 

2024年11月1日(金)、晴れときどきくもり~。

いよいよ北に向けての旅立ちです!

朝の通勤渋滞を回避して、自宅を出たのは8時30分すぎ。

まずは北関東道の伊勢崎インターから高速に入り、岩舟JCTから東北道へ。

平日なので空いてはいるものの、トラックが多め+あちこち工事もあって、

なかなかペースが安定しないな~(^-^;)

おおむね1時間/100kmを目安に休憩を挟みつつ、距離を稼いでいきました。

 

Dscn2982

 

それで、最初の目的地である一関インターのひとつ手前、

自宅から390km先の金成(かんなり)パーキングに着いたのが、午後1時ごろ。

 

Dscn2984

 

コンビニ併設型のパーキングだったので、

高速を降りる前に昼メシを食べておくか~と思い、おにぎりを買って食べましたよ♪

そしてすぐ次の一関インターから下道へ。

国道342号にて、本日最初の立ち寄りスポットへと向かいました~(^-^*)

 

Dsc_0068_20241105235701

 

しかし、途中の「矢櫃(やびつ)ダム」という看板のある橋に差し掛かったとき・・・

そこには驚くべき光景がっ!!

 

Dsc_0075_20241105235701

 

えっ!?(゚Д゚)エッ!?

青い池じゃん!!

w(*゚ロ゚*)w ワオー!

 

Dsc_0081_20241105235701

 

え~?なんでこんなに青い色の池があるんだろっ??(*゚∀゚*)

 

実を言うと・・・1回、橋を通り過ぎちゃったんですがw、

思わぬ光景に目を奪われて、すぐさまUターンしたんですよ!Ψ(`∀´)Ψ

 

Dsc_0082_20241105235701

 

少しクリーム色した青い湖面に映り込む、

紅葉との組み合わせがスゴいな~!( *'д')bイイ!!

「青い池」というと北海道の美瑛のスポットがとにかく有名ですが、

(10年くらい前に行ったこともありますがw)

ここだって負けてないんじゃね??

あとでツーリングマップルを確認したら、

地名は載ってるものの「青い池」の情報は無し・・・

ここはもっと有名になってもいい気がするな~!(*ノ∀`*)キャッ

 

とまぁ、思いも寄らぬ絶景に出会えて興奮しつつ、

本日のメインスポットまではすぐそこですよ~!

 

Dsc_0089_20241105235701

 

そんなわけで、矢櫃ダムから走り出してすぐ近くの、

「祭畤(まつるべ大橋」に到着で~す!

(余談ですが・・・この『畤(ジ)』の漢字は、

 全国で唯一、ここの地名にのみ使われている文字だそうですよw)

 

Dsc_0094_20241105235801

 

それはともかくw

実はここ、珍スポメンバーの空波さんや、他のSNSで繋がってる道路ネタ好きの知人から、

情報を教えてもらって存在を知ったのですが。

2008年6月14日に発生した「岩手宮城内陸地震」で崩落した橋が保存されている、

いわゆる「災害遺構」なんですよね。

こちらにもあった青い池と、紅葉と、折れ曲がった橋・・・

それぞれに不思議な自然と、美しい自然、そして恐ろしい自然の力の象徴なわけですが、

それを一目で眺められる場所って・・・と、いろいろと考えさせられる眺めでした。

 

Dsc_0098_20241105235801

 

そしてその後は、新しく掛け替えられた祭畤大橋から、

崩落した旧道のほうへと向かいました。

 

Dsc_0100_20241106205201

 

ここには、大規模な地滑りによって崩壊した当時の道路が、

遊歩道として保存されていましたよ。

口を開けてる側溝の残骸が、地盤のズレの凄まじさを物語っていますね~。

 

Dsc_0106_20241105235801

 

そして、崩落した「祭畤大橋」のたもとへと到着です。

地震と共に数十メートルにわたって地盤がズレたせいで、

土台や橋脚から橋が落ちてしまったのが良くわかりますね~。

あらためて自然の驚異を目の当たりにして、言葉もありませんでした。

 

Dsc_0111_20241105235801

 

さて、その後は次の立ち寄りスポットへと向かうべく、

「栗駒焼石ホットライン」へと進みましたが、

ここら辺りの紅葉がちょうど見頃でちょっと撮影タイム!(^-^*)

 

Dsc_0109_20241105235801

 

青空バックなら言うことなかったんですけど、

雨が降らなかっただけマシですかね~?( *´艸`)

 

Kimg20423

 

それにしても!

この「栗駒焼石ホットライン」の超絶快走路っぷりがスゴかった~!(*ノ∀`*)アハッ!

路面はキレイで、コーナーもアップダウンも緩やかで、しかも絶景続き!!

 

Kimg2043

 

ツーリングマップルでも当然「オススメルート」に認定されていましたが、

これは正しく絶景道!

即、お気に入り決定~!

 

ここはまた必ず走りに来るぞ~!(^-^)b

 

Dsc_0114_20241105235801

 

さてそんな感じで、国道342号と397号とを結ぶ「栗駒焼石ホットライン」を爆走してw、

胆沢(いさわ)ダムを横目に眺めつつ、続いて訪ねたのは??

日本最大級と言われる、胆沢平野土地改良区の円筒分水ですよ~( *´艸`)

 

   Dsc_0116_20241105235801

 

解説版によると、広大な扇状地である「胆沢(いさわ)平野」を昔から潤してきたのは、

1570年に完成した「茂井羅堰(しげいらせき)」と、

1618年に完成した「寿安堰(じゅあんせき)」という2つの用水路だったそうですが、

この二つの用水路の取水口がわずか1kmほどしか離れておらず、

ずっといわゆる「水争い」の火種になってしまっていたそうなんですよね(^-^;)

そこで、自然の落差で公平に水を分けられる仕組みとして、

昭和33(1958)年に造営されたのが、この円筒分水なんだとか!

・・・って、この仕組みができるまで、

340年間も水を巡って争い続けていたってのがコワいな~!( ゚∀゚; )ヒョー

 

Dsc_0119_20241105235801

 

では、340年以上にもわたる水争いを収めたという、偉大な円筒分水のお姿を拝見・・・って??

季節は11月、田植えどころか稲刈りもとうの昔に終わり、今は農閑期まっただなか!w

農業用水なんてまったく必要のない時期ですから~(^-^;)

一滴の水も流れてない円筒分水ほど、見ていてつまらないモノはなし!∑(ノ∀`*)アチャー

これはもう、栗駒焼石ホットラインの再走も含めて、

来年の田植えシーズン=ゴールデンウィーク頃に、

また来てみるとしますかね~?(・∀・)ニヤニヤ

 

Dscn2993

 

そんなわけでその後は、市街地に下りて水沢インターから再び東北道に乗り、

ルートイン盛岡南に投宿となりました(*^-^*)

 

つづきはこちら:DAY:2-1

 

この日の走行距離=583.3km

 

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2024年7月20日 (土)

北海道の産業遺産・廃墟探訪記2013 その3

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*この記事は、2013年9月21日~23日にかけて巡った、

 北海道の産業遺産と廃墟の探訪記をまとめたものです。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね♪

 

☆その1の記事はこちら

☆その2の記事はこちら

 

Dsc_0220_20240717210301

 

さてさて!

羽幌炭鉱の廃墟群を堪能したところで、旅はまだまだ続きますよ~(^-^*)

羽幌のタクシー会社から苫前町へと戻り、続いて訪ねたのは・・・

 

Dsc_0216_20240714200901

 

苫前町の郷土資料館です!

実を言うとここに寄ったのは、当時の彼女のリクエストでしてね~( *´艸`)

彼女のお目当ては何かというと??

 

Dsc_0218

 

「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」の展示資料を見学すること~!∑(*`ロ´ノ)ノ

 

「三毛別ヒグマ事件」とは、

1915(大正4)年12月9日~14日にかけて発生したヒグマによる獣害事件のことである。

エゾヒグマが開拓民の集落を2度にわたって襲い、

死者7名・負傷者3名を出した、日本史上最悪の獣害事件と言われている。

詳しくはこちら:三毛別羆事件(Wikipedia)

 

それで、当時の彼女がなんでこの事件に興味を持ったかと聞いたら、

吉村昭の小説「羆嵐」(くまあらし)を何かで読んで知ったらしいんですよねw

それで、北海道旅行に行くんだったら苫前町のこの施設に行ってみたい、という話しになり、

しかも隣町には、ボクの憧れの場所だった羽幌炭鉱があるわけですから!(・∀・)ニヤニヤ

とんとん拍子に旅行計画が決まったんでしたっけね。懐かしいな~(笑)

 

Dsc_0219_20240714200901

 

ところで上の写真は、苫前町の郷土資料館に展示してあったヒグマの剥製ですが、

ま~ものすごい迫力でしたよ!( ゚∀゚; )ヒョー

特に手の爪なんてね、1本1本がちょっとした果物ナイフくらいの大きさがありましたから!(´゚Д゚`)ゲッ!

あれで襲われたとしたら、そりゃあ無事じゃ済まないよな~(^-^;)

最近は、全国各地でクマの被害が多発しているようなので、

ツーリングや鉄道写真、廃墟探索などで山奥に行く際は、

お互いに充分に気をつけましょうね~ヽ(´▽`)ノ

 

ちなみに「三毛別ヒグマ事件」について詳しくお知りになりたい方は、

ぜひWikipediaの記事や、吉村昭の小説「羆嵐」を読んでみてくださいませ。

というのも、あまりにも凄惨で地獄絵図のような出来事で・・・

申し訳ないのですがボクには書けません。。。悪しからず~( ;^ω^)

 

Dsc_0230_20240714200901

 

続きまして。

苫前町から日本海オロロンライン(国道239号)を南下して次に立ち寄ったのは、

小平町の「鰊(ニシン)番屋」でした。

今でこそ道の駅として多くの観光客で賑わってる場所のようですが、

当時はまだ史跡の「旧・花田家番屋(鰊御殿)」があるだけで、

あまり観光客の姿は見かけなかったような記憶がありますね~(^-^;)

 

Dsc_0233_20240714200901

 

ところで、北海道の開拓の歴史を語る上で、

『鰊(ニシン)』と『石炭』は重要なキーワードとして挙げられるかと思います。

 

例年、春先の2月~3月にかけて、北海道や青森県、秋田県あたりの日本海沿岸部には、

産卵のために大量のニシンが押し寄せる『群来(くき)』と呼ばれる現象が見られました。

春のニシンは身に脂がのっていて、食用としての需要はもちろん、

まだ化学肥料の発達していない時代にあって、

農地の土壌改良をするための「肥料」として、全国各地で飛ぶように売れたんですよね!

それに目を付けた漁師達が定置網を仕掛けて、文字通り『一攫千金』を狙った。

仕掛けた定置網にうまくニシンの大群が入ってくれれば、

わずか2ヶ月の漁期で、現在の価値に換算して1億円以上の売り上げが出た!というんですから、

そりゃぁ多くの人たちがこぞって「ニシンドリーム」を目指したことでしょう!(笑)

そうした漁師達=「ヤン衆」を束ねる網元や船主が、自分の威勢を競って建てたのが「鰊番屋」で、

一つの鰊番屋に100人以上のヤン衆たちが共同生活を送っていたそうですよ。

 

Dsc_0229_20240714200901

 

鰊番屋は、この小平町にある「花田家」の他に、

秋田県の遊佐町にある「青山家」なども有名ですが、

当時の建物としては破格の大きさを誇る、見事な造りが印象的なんですよ~!イイネ♪d('∀'o)

以上、小平町の「鰊番屋」のご紹介でした(^-^)b

*余談ですが、ヤン衆がニシン漁の船上で歌っていた唄が、北海道の民謡「ソーラン節」です♪

 

そして、この日の旅はさらに続き・・・

 

Dsc_0235_20240714201001

 

夕闇の迫る中で訪ねたのは、残念ながら今は廃線となった、

留萌本線の『真布(マップ)駅』です!

ここでのネタ写真は・・・

 

Dsc_0236_20240714201001  

 

『真布でマップ!』(*ノ∀`*)キャッ

そう。。。このネタのためだけに、

ツーリングでもないのにツーリングマップルを持って行きました~!(笑)

 

Dsc_0244_20240714201001

 

そしてさらに、駅ネタは続きます~!Ψ(`∀´)Ψ

この日の最後に訪ねたのは、

アイヌ語由来で数々の難読駅がある北海道でも、指折りの難読駅名、

「北一已(きたいちやん)」駅です!(=^-^=)ニャハハ!

 

Dsc_0239_20240714201001

 

ここで、極めて個人的な話しをさせていただきますと。

ボクには「北井さん」という知り合いがいましてね、

この駅名表示ははじめ、「きた・いちやん」ではなく「北井ちゃん」にしか見えなかった!w

そんなことが引っかかってて(笑)この駅を訪ねてみることにしたのですがww

 

しかし、その後に調べてみると・・・

『北一已』とはアイヌ語で『サケ・マスの産卵場』を意味する『イチャン』を語源とするが、

開拓にあたった屯田兵が『北の大地で一にして已む』という意味を込めて付けた地名だと、

何かで読んで知りましてね・・・とても心を動かされたんです(^-^*)

 

*注記:『已む』は『やむを得ず』の漢字表記で、

 ほかにどうすることもできない、しかたない。。。といった意味になります。

 

翻って当時、この地に入植した屯田兵たちは、

『死して後、已む(死してのち、やむ=死ぬまで努力し続けること)』の故事を引用して、

「この地に始まり、ここで成功する以外に道はない」という覚悟を込めて

「北一已」という地名を名付けたわけですね。

 

Dsc_0242_20240714201001

 

そんなわけで、とっぷりと日が暮れた後に訪ねた「北一已」駅。

いろいろな物語が頭の中を駆け巡って、今でも忘れられない小さな無人駅のお話しでした(*^-^*)

 

それにしても、いまこの日の旅を振り返ってみると・・・

廃線・廃墟・ダークツーリズム・産業遺産・秘境駅・難読駅と、

ネタ満載のとんでもなく「濃い一日」だったんだな~!ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!

 

以上、思い出深い、2013年の北海道旅行のレポートでした☆

 

~ おしまい ~

 

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2024年7月18日 (木)

北海道の産業遺産・廃墟探訪記2013 その2

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*この記事は、2013年9月21日~23日にかけて巡った、

 北海道の産業遺産と廃墟の探訪記をまとめたものです。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね♪

 

☆その1の記事はこちら

 

Dsc_0190_20240714200801

 

さて、築別坑のホッパー台に続いて案内してもらったのは、

同じ築別地区にあった「旧・太陽小学校」の跡地です。

ここでは、立派なドーム型の体育館が印象的でした。

 

Dsc_0189_20240714200801

 

どうですか、この特徴的な天井の梁!

キレイな紋様を描いていて、見事な造りですよね~!∑d(゚ェ゚d )イカス!!

でもこの体育館・・・聞くところによると、2018年の大雪で潰れてしまったそうで、

そう言われると今では貴重な写真なのでしょうか。

 

Dsc_0181_20240714200801

 

さらに続いて訪ねたのは、築別坑で働く人たちのためのアパート群!

鉄筋コンクリート造りの4階建て、大きくて立派な建物がたくさん残されていましたよ。

 

Dsc_0182_20240714200801

 

いわゆる「鉱山住宅」というと、八幡平の松尾鉱山の廃墟アパート群が有名ですが、

保存状態で言うとこちらの方が断然、きれいな姿を保っていますでしょうか。

ガイドさんの案内でいくつか部屋の中も見学したのですが、

当時の新聞や雑誌などが残されていた部屋もあり、

新聞のテレビ欄を見て「あ~この番組覚えてる~!」なんて、ちょっと盛り上がりましたっけね☆

ちなみにここの入居費は、家賃のほか水道光熱費もすべて会社持ちだったそうで・・・

炭鉱って儲かっていたんですね~(笑)

 

Dsc_0191_20240714200901

 

さてさて!

築別坑の小学校や鉱山住宅があったエリアから移動して、

ついに羽幌本坑の選炭工場跡へとやって来ました~!ヽ(^ω^)ノ

 

Dsc_0193_20240714200901

 

工場の内部は、4階層くらいの構成だったんですかね~?

そこにあったはずの機械類はすべて撤去されてしまっていて、

ガランとした空間だけが広がっていましたよ。

 

Dsc_0195_20240714200901

 

もし仮に「実際に稼働している炭鉱の選炭工場」を一度でも見たことがあれば、

どこにどんな施設や機械があって、どんな風に石炭が運ばれていくのか・・・イメージしやすいんですけど(^-^;)

実は今でも国内で石炭を掘ってる鉱山はあるのですが、

(釧路コールマイン=詳しくはこちら:釧路市ホームページ)

工場見学会でもなければ、選炭工場の中を見ることはできないでしょうしね~w

まぁこればっかりは仕方ないか~!┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

Dsc_0199_20240714200901

 

そしてその後、選炭工場の屋上に出たら、

さらに山奥にそびえ立つ羽幌炭鉱の立坑櫓が見えましたよ!∑(゚Д゚)スッ、スゲー!!

今回のツアーでは、時間の都合で立坑櫓の中には入りませんでしたが、

いつかまた訪ねて見てみたいですね~( *´艸`)

 

Dsc_0211_20240714200901

 

以上、羽幌炭鉱跡のレポートでした♪

 

~ つづく ~

 

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2024年7月16日 (火)

北海道の産業遺産と廃墟探訪記2013 その1

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Dsc_0229_20240714200901

(小平町の鰊(ニシン)番屋前のモニュメントにて。撮影日:2013.9.22)

 

突然ですが・・・最近、以前に松尾八幡平の廃墟群でお会いした、

廃墟好き女子さんとのコメントをやりとりする中で、ふと気付いたのですが。

そういえば、ちゃんとした記事にまとめていなかった「廃墟探訪ネタ」があったな~と、

思い出した旅がありましてね(^-^;)

それは今から11年前。

2013年の9月21日~23日にかけて巡った、

北海道の羽幌炭鉱跡の思い出です!( *'д')bイイ!!

 

このブログ「風に吹かれてバイク旅」は、2014年の12月から書き初めていますので、

(バイクのブログ自体は2011年から書いています←当時のブログはサービス終了で消えましたけどw)

要するに『お蔵入り』していたネタの復刻版の記事ってことで、よろしければお付き合いくださいね♪

 

-----

 

2013年9月22日、晴れ!

この日は、宿泊していた旭川市内のホテルを出発して、日本海側の苫前町へと向かい、

かつて隆盛を極めた「羽幌炭鉱」の産業遺産群を訪ねて廻る予定を立てていました。

 

Dsc_0148_20240714200701

 

まずはこの日の朝一番の立ち寄りスポットは、JR宗谷本線の『比布駅』!イイネ♪d('∀'o)

(今回あらためてGoogleマップで調べたら、今はキレイな駅舎に建て替えらたんですね)

 

Dsc_0150

 

ちなみに、なんでこの駅に立ち寄ったかというと。。。昭和な皆さんは覚えてますよね!?

そう!「比布」と言えば「ピップ」!(笑)

 

Dsc_0151_20240714200701

 

CMでも使われた、この「比布でピップ!」のネタ写真を撮るためだけに、

ウチからピップエレキバンの箱を持って行ったという・・・(・∀・)ニヤニヤ

当時付き合っていた彼女も、ノリノリで撮影してくれたのが良い思い出だな~(*ノ∀`*)アハッ!

 

Dsc_0155

 

で、そこから日本海側へと出て、苫前町の入口にあった巨大なクマのオブジェでパシャリ♪

(なんでここで「クマ」のネタかというと・・・この話しは後の記事で出てきますのでお楽しみにw)

 

Dsc_0157_20240714200701

 

ところでこの日の北海道の日本海側(苫前町)は、穏やかですごく良い天気でしたね~♪

羽幌の沖合に浮かぶ「天売(てうり)島」と「焼尻(やぎしり)島」も、キレイに見えていました。

 

それで羽幌町に着いたところで、羽幌炭鉱のガイドツアーを申し込んであったタクシー会社に行き、

タクシーに乗り換えて出発!

(羽幌炭鉱へのガイドツアーは、羽幌町の(株)沿岸ハイヤーさんに要・事前申し込み)

ちなみに羽幌炭鉱は、羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3つの炭鉱で構成されていたのですが、

最初にそのうちの「築別(ちくべつ)坑」から訪ねてみることにしたのでした。

 

さて、羽幌町内から国道232号(日本海オロロンライン)~道道356号へと進み、

まず最初に見えてくるのは、羽幌炭鉱鉄道跡に残されているいくつかの鉄橋です!( *'д')bイイ!!

大きく蛇行しながら流れる築別川を連続して越える橋梁群は、

下流側から第一橋梁、第二橋梁、第三橋梁と続くのですが、

特に見ていただきたいのは、この第二築別川橋梁!!

 

Dsc_0163_20240714200701

 

いかがですか!?

2本のプレートガーター橋の「厚み」が違っているのがわかります??(*ノ∀`*)キャッ

羽幌炭鉱の採掘が始まり、炭鉱鉄道が敷設されたのが1940(昭和15)年。

その後に勃発する太平洋戦争へ向けて、あらゆる物資が不足し始めていた時代のなかで、

各地からあり合わせの(中古の)鉄橋をかき集めてきたんでしょうね~!

「鉄橋の高さを揃えるために、土台の方で帳尻あわせをする」という、

今では考えられない技術者の苦労が偲ばれます(^-^;)

 

Dsc_0164_20240714200701

 

さらに第二橋梁を詳しく見ると、

鉄橋の高さを揃えるために古いレールを組み合わせた足場も置かれているんですよね。

このレールには、官営八幡製鉄所のマークと「1913」の刻印が見て取れました(矢印と赤線の部分)。

官営八幡製鉄所の操業開始は1901(明治34)年ですから、

わりと初期の生産品であることが解りますね~。

 

Dsc_0169_20240714200701

 

さて、道道356号をさらに進むと、すぐに次の第三橋梁が見えてきますよ~。

こちらの鉄橋も、あり合わせの部材をかき集めて作られたようで、色も形もバラバラですね(笑)

 

Dsc_0167_20240714200701

 

そしてさらに、上の写真の反対側から第三橋梁を見た写真がこれですが(奥の水色の橋が道道356号)、

なんと!鉄橋の厚みだけじゃなく、長さもバラバラだから、

コンクリート製の橋脚も見事に間隔がバラバラ!∑(ノ∀`*)アチャー

図面がどうのこうのと言う前に、完全に現物合わせの荒技ですわ~(^-^;)

一人の鉄橋ファンとして、この「珍品」に大興奮したのを良く覚えています!(笑)

 

Dsc_0175_20240714200701

 

さて、そのまま道道356号を進んで行くと、築別坑のホッパー台が見えてきましたよ!( *'д')bイイ!!

とはいえ、これは今から11年前の写真ですから、現在はもっと藪に埋もれちゃってるかな??

壁面の「羽幌鉱業」と書かれた看板が誇らしげです!

 

Dsc_0173_20240714200701

 

そして、こちらはホッパー台の内部の様子です。

ボクが立ってる位置に石炭を積む貨車を入れ、上から石炭を落として貨車に積むんですね。

鉱山のホッパー台というと、グンマの長野原にある「太子(おおし)駅」のモノが有名ですが、

冬場の自然環境の過酷さが考慮されているのか、こちらの方がより頑丈な造りになっている印象でした。

 

続きはこちら:北海道の廃墟探訪記2013 その2

 

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2024年5月18日 (土)

春の東北周遊2024 DAY:3-1 旅の後半は憧れの廃墟から♪

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね☆

 

DAY:0の記事はこちら(旅立ちの様子)

DAY:1-1の記事はこちら(旧・野蒜駅)

DAY:1-2の記事はこちら(南三陸町 旧・防災対策庁舎)

DAY:1-3の記事はこちら(旧・大川小学校)

DAY:2-1の記事はこちら(田代島への旅)

DAY:2-2の記事はこちら(石ノ森萬画館)

DAY:2-3の記事はこちら(旧・門脇小学校)

 

Haikyo_20240517232601

 

2024年5月5日(日)、快晴♪

この日は2連泊した石巻市を出発して、

あちこち寄り道をしながら日本海側へと向かう予定~!イイネ♪d('∀'o)

 

まず最初に向かったのは・・・?

 

Dscn2843

 

東北道の長者原(ちょうじゃはら)パーキングのすぐ近くにある、

「化女沼(けじょぬま)レジャーランド」の跡地で~す!(#゚ロ゚#)ワオ!!

(宮城県大崎市古川小野遠沢地区内)

いや~!ここって、

前にご紹介した「美しい廃墟カレンダー」で見て以来、

ずっと来たいと思っていた場所なんですよね~(*ノ∀`*)アハッ

震災遺構を訪ねていた昨日までと打って変わって、

ニヤニヤが止まらない~!(・∀・)ニヤニヤ

 

Dscn2851

 

さて、いざバイクを置いて散策開始~!

・・・って、正面ゲートの先はすぐに「立ち入り禁止」。

まぁ、この辺は織り込み済みですけどね!Ψ(`∀´)Ψウシシ!

 

Fscn2849

 

錆びたゲートをくぐって2、3分で「ありがとうございました」の言葉を見たよ(笑)

でも、こっち側は「本命」じゃないんでね~( ̄ー ̄)ニヤリ

再びバイクに乗って、藪に埋もれた敷地の反対側へと向かいます!

 

Fscn2855

 

グルッと回り込むと・・・あった!∑(*゚艸゚*)オオッ!!

あの観覧車だ~!!キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

実はGoogleマップのストリートビューにもこの観覧車は写っているので、

この場所を目指して来たんですよ~(^-^)b

 

Dsc_0211_20240517232001

 

そして、ここで『秘密のワープルート』を発見したのでw、

観覧車への接近を試みますが・・・

 

Dsc_0209_20240517232001

 

ちょっと藪が深いので、これ以上はムリかな?(^-^;)

お?観覧車の隣には、メリーゴーラウンドの頭もチョコッと見えてる~( *´艸`)

がんばって藪漕ぎ(草を押しのけて藪を突破することw)すれば行けなくはないだろうけど、

さっきからでっかい「クマバチ」がブンブン飛んでるのも気になるし・・・

ヘタに蜂の巣を刺激するのもヤバいからってことで、ここで潔く撤退です!

 

Dscn2863

 

さて!

化女沼レジャーランドを出発したら、国道47号と108号をズンズン走り・・・

次の目的地は、有名な「鳴子温泉郷」を通り過ぎた先の、とある場所。

 

Dscn2864

 

里山の中に「分水嶺(ぶんすいれい)」があるという珍しいスポット、

JR陸羽東線の堺田(さかいだ)駅で~す!ヽ(^ω^)ノ

 

Dscn2856

 

いわゆる「中央分水嶺」とは、

降った雨が太平洋側へ流れるのか、はたまた日本海側へ流れるのかが分かれる場所のこと。

普通は山の尾根や峠にあって、言ってしまえば「概念的」なものなんですが(^-^;)、

ここは、流れてくる用水路が土手にぶつかって、

太平洋側と日本海側に分かれる様子を間近に見られる、全国的にも珍しい場所なんですよね~♪

 

Dscn2861

 

で、その「流れてきた水が分かれる場所」を解説すると、こんな感じ~ヽ(^ω^)ノ

・・・って、え?まだ良くわからねーよってか?ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!

 

 

まぁそうだろうと思って、動画も撮ってきましたよ~(笑)

上流から流れてきた用水路が、見事に左右に分かれていますよね!∑(゚Д゚)スッ、スゲー!!

なにも聞かされていなければ「ただの用水路」ですがw、

じっと眺めているとなんとなくロマンを感じる・・・そんな場所でした♪

(でも、ひっきりなしに観光客が来ていましたよ!∑(*゚ェ゚*)オドロキ!)

 

Dscn2870

 

さてと!

じゃあせっかく来たんだからと、陸羽東線の堺田駅も見学していきますかね~。

小さな駅舎に入って時刻表を見ると・・・?

 

Dscn2868

 

昼間は3時間に1本か~!∑(ノ∀`*)アチャー

まぁ地方のローカル線なんて、どこもこんな運行状況ですけどねw

とはいえ、もし列車が来る時間が近ければ、ここで1枚撮りたかったんだけどな~(^-^;)

(ちなみにこの写真を撮ったのが11時30分くらい。次の列車までは2時間・・・待てんわなw)

 

Kimg1804

 

仕方ないので、ホームできれいに咲いていたツツジの写真を撮って、出発です!(^-^)ゞ

 

Kimg1806

 

そしてその後は、国道47号から分岐した県道56号へと入り、

陸羽東線の跨線橋を越えるあたりで時間を調べたら、あと20分ほどで列車が来ると判明~!( *'д')bイイ!!

ここで待ち受けて、列車を撮ることにしましたよ♪

 

 

初めて見る、陸羽東線の車両!(*ノ∀`*)キャッ

白いボディに赤いラインが映えますね☆

 

そんなわけで、まだまだ旅は続きます!

 

続きはこちら DAY:3-2

 

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2024年5月17日 (金)

春の東北周遊2024 DAY:2-3 石巻市の震災遺構を訪ねて

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

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DAY:2-2の記事はこちら(石ノ森萬画館)

 

Dsc_0160_20240516223301

 

さて、今回の日記は2024年5月4日の夕方のお話し・・・

『ネコの島』の田代島から戻って、石ノ森章太郎先生の萬画館を見学して、その後のこと!(笑)

・・・っていうか、もうあれから2週間も経ってるなんて~!( ゚∀゚; )ヒョー

引き続きレポートを書いていきますので、よろしくお付き合いくださいませ☆

 

Dsc_0161_20240516223301

 

そんなわけで、石ノ森章太郎先生の漫画館周辺から逃げるように脱出して(笑)、

あらためて「石巻南浜・津波復興祈念公園」へと戻ってまいりました♪

ちなみに、上の地図で「現在地」となってる場所の西側のエリアが、

網地島フェリーの発着場になっているんですよ(^-^*)

 

Dsc_0162_20240516223301

 

そして、こちらに立てられていた解説版には、かつての石巻港(南浜地区・門脇地区)の様子と・・・

 

Dsc_0163_20240516223301

 

東日本大震災の翌日(2011.3.12)に撮影された、同じエリアの航空写真が並べられていました。

見比べてみると、ほとんどすべての家屋が津波によって押し流されていて・・・

この場所の被害がいかに大きかったのかを、教えてくれました。。。(ノ_・、)

 

Dsc_0170_20240516223301

 

さて、この公園の中心には現在、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」という施設が作られています。

お話しを伺ったところ、石巻市の中でも特に津波の被害が大きかったこのエリアは、

いまは「居住禁止区域」に指定されていて、誰も住むことができないんだとか!(´゚Д゚`)ビックリ!

たしかに、公園の敷地に立って周りを見ると・・・

海辺には、水産業の巨大な工場や冷蔵庫はたくさんあるものの、民家はひとつもなし。

要は・・・また懲りずにここに家を建てちゃって、

50年後、あるいは100年後に、また津波で流される悲劇が繰り返されないようにと、

法律を作ってまで「ここに人は住んではいけません」と決めちゃったわけだ!!∑(*゚ェ゚*)オドロキ!

それだけ、東日本大震災で心にキズを負った人が多かった、ということなんでしょうね~(-_-)

 

Dsc_0171

 

そんな、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」の中で特に印象深かったのは、

こちらの、各地を襲った津波の高さ表現した模型ですかね~。

津波の高さを表した青い図形の下に、小さくヒトの姿が描かれているのがわかります??

あんな高さの波に襲われたら、

人間なんてひとたまりもない!ってことが良くわかります・・・( ゚∀゚; )ヒョー

 

Dsc_0167_20240516223301

 

そして、一通りの解説を聞いた後は、同じ海辺の地区にあって津波にやられてしまった、

旧・石巻市立の門脇(かどのわき)小学校を訪ねてみることにしました~。

公式サイトはこちら:石巻市震災遺構門脇小学校

 

Dsc_0175 

 

2011年3月11日の震災発生当時、この門脇小学校には224人の生徒・児童がいたそうですが、

全員が地震発生直後に裏山に避難して、無事だったとのこと。

前日に訪ねた大川小学校とはえらい違いだな~( ゚∀゚; )と、見学を始めたのですが。

 

Dsc_0193_20240516223401

 

こちらの学校では、立地的にやはり海が近いこともあり、

日頃から地震の避難訓練に加えて、セットで津波からの避難訓練が繰り返し行われていたとか!w(*゚ロ゚*)w

 

Dsc_0190

 

このため、教員や児童・生徒は地震直後に迷わず、高台の「日和山公園」に避難行動を始めて、

大切な命を守ることができたんだそうですよ~( *´艸`)

ここではやはり、日頃からの防災意識の高さに加えて、

『津波は必ず来る』という危機意識の高さが、人の生き死にの命運を分けたのだと思いました。

大川小学校の悲劇とあわせて、学ぶことが多かったよう感じましたね。

 

Dsc_0180

 

ちなみに、石巻市は津波の被害に加えて、

同時に発生した火災の被害も大きかったんだそうです。

門脇小学校の校舎にも、火災で赤く焼けた跡が残っていたのが生々しかったです。

以上、石巻市で震災の被害を受けたもうひとつの小学校、

「門脇小学校」のご紹介でした~♪

 

ところで、今回訪ねた震災遺構のなかで、

この門脇小学校だけが唯一、有料(大人一人600円)だったのですが。

個人的には、その入場料を払うだけの価値は充分にあったと言いたいですね(^-^*)

 

Dsc_0197_20240516223401  

 

それで、こちらは「記憶を紡ぐ」というコーナーの中にあった、

津波被害の体験談の一編です。

特に印象に残ったので、ご紹介しますね。

 

裸の人

 

車が流されていくのを

ただ、呆然と見ているしかなかった

地面を這うように、スーッと流れてきたその液体は

次の瞬間 数メートルの高さの津波となった

咄嗟に、近くの建物に駆け込んだ

何が何だかわからなかった

 

命だけは助かった

生き残った者は

次の日から、生き抜くための日々が待っていた

 

津波に押しつぶされた家屋の残骸と泥の山を

棒を突き刺しながら地面を確認し

釘を踏まないよう慎重に歩いた

 

途中、裸の男性が目に入った

亡くなっていた

この時は助けるとか、そんな気持ちの余裕は皆無で

心の中で手を合わせるのが精一杯

ただただ、目をそらした

なぜ裸だったのかとそれだけは心に引っかかっていた

 

津波に飲まれた人は

洗濯機に入れられたようにかき回され

天地がわからなくなったと話していた

ある人の息子さんは

ご遺体がみつかったとき服を着ていなかったという

 

場所も表情も仰向けに亡くなっていた状況も

忘れることなどできない

人が死ぬとはそういうことなのだ

 

Dsc_0204_20240516223401

 

そして他に、こちらの施設で驚いたもう一つのポイントは、

「本物の仮設住宅を見られたこと」ですかね~!( *´艸`)

 

Dsc_0207_20240516223401

 

中に置かれた家電のデザインが、若干古い感じがするのが、

かえってリアリティがあるというか・・・

まさかこの施設でこんな展示を見られるとは思っていなかったので、

これは嬉しい驚きでしたな~!(*ノ∀`*)キャッ

 

石巻市の震災遺構、門脇小学校。

見学は有料になりますが、お金を払ってでも見る価値はある!と、オススメしておきますよ(^-^*)

 

で、そんなこんなで、盛りだくさんな一日もこれまで~!ヽ(^ω^)ノ

とにかく濃密な体験の多かった、南三陸町~石巻市の探訪レポートでした☆

 

続きはこちら DAY:3-1

 

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2024年5月12日 (日)

春の東北周遊2024 DAY:1-3 宮城の震災遺構を訪ねて・その3

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね☆

DAY:0の記事はこちら(旅立ちの様子)

DAY:1-1の記事はこちら(旧・野蒜駅)

DAY:1-2の記事はこちら(南三陸町 旧・防災対策庁舎)

 

Dscn2832

 

さて、南三陸町の旧防災対策庁舎とモアイ像を見学した後は、

国道398号を南下して、次の目的地へ~!

途中にあった大きな堤防の上で記念撮影などをしつつ、大川小学校へと向かいました。

 

Dsc_0060_20240510212101

 

公式サイトはこちら:石巻市震災遺構大川小学校

 

駐車場にバイクを止めて施設の方へ向かうと、一人の男性からパンフレットを手渡されました。

お話を伺うと、大川小学校で津波に巻き込まれた児童78名のうち、

奇跡的に助かった児童4名の中の、一人のお父さんとのことでした。

 

Dsc_0069_20240510212201

 

ざっと大川小学校の遺構を案内してもらう中で、その男性が言いました。

「あそこに高台があるでしょう。あそこに逃げれば全員助かっていたんです」

見れば、高台の上には小さな子供を連れた家族の姿がありました。

「あんな小さな子供でも登れる、なんでもない場所なんですよ」

 

Dsc_0071_20240510212201

 

「私はね、生き延びたウチの子供からいろんなことを聞かされましたよ」

言葉の端々に、怒りと無念さがにじみ出ている感じです。

「当日、住民とかみんなが校庭に集まっている中で、

 校長がドラム缶を出してきて火をおこす準備を始めていたこととかもね」

「・・・え?暖を取ろうとしたんですかね?」

「そうですよ、その時、校長の頭の中には『逃げる』という考えはなかったってことですよ」

 

そのほか、

「唯一生き残った教員は、一人だけサッサと裏山に逃げていた」とか、

(裁判では『自分も津波に飲まれたが運良く逃げられた』と証言したらしい)

「子供達の中にも『はやく裏山へ逃げよう』と言ってた子もいた」とか、

その場にいた子供だからこそ、見聞きした話しばかり・・・

 

う~ん・・・これはもう完全に「トップの判断ミス」だよな~(-_-)

地震発生から、この大川小学校に津波が来るまで50分ほどあったそうで、

ご遺族の方々でなくても、「何をやっていたんだ!」と糾弾したくなる気持ちもわかりますよね。

 

Dsc_0065_20240510212201

 

しかし、続いて同じ敷地内に作られた「大川震災伝承館」を訪ねたら、

ボクのその『安っぽい怒り』は、見事に打ち砕かれましたよ。

 

震災伝承館でお話しを伺ったのは、ボランティアスタッフの方。

「私たちは、あくまでも中立の立場でご案内させていただくんですが・・・」

と、前置きした上で、

「実はここ大川小学校は、当時のハザードマップでは浸水が想定されていなかったんです」

「え~~~!?∑(´゚Д゚`)ビックリ!」

 

要は、北上川の河口から3.7kmほど上流に位置する、

大川小学校があったこの釜谷地区は、

かつてのチリ地震の時にも津波の被害に遭わず、

この場所まで津波が来ることは想定されていなかった。

それどころか、地震が発生してここが避難場所だからと、

地区の人たちも続々と避難して来ていた。

津波の犠牲になった児童74名と教職員10名のことがクローズアップされがちだけど、

当時の釜谷地区の住人約500人のうち、2割ほどの住人も津波で命を落としているというのは、

そういう理由もある、と教えてもらいました。

 

でも実際には、この災害で北上川を遡った津波(河川遡上型津波というらしい)は、

河口からはるか上流、約49km先まで到達していたそうで。

海から”たった3.7kmしか離れていない”大川小学校には、

先に河川を遡上した津波に襲われ、直後に陸から来た津波も合わさって、

2階建ての校舎は屋根まですべて津波にのみ込まれたそうです。

 

大自然の驚異の前に「人間の想定」なんてモノが、

いかにちっぽけでアテにならないか!!

 

Dsc_0077_20240510212201 

 

やはり、「津波が来るとわかったら、とにかく逃げる!」

これしかないんだと、廃墟になった小学校を眺めて思いを新たにしましたよ。

 

そしてこの後は、国道398号を快走して石巻のルートインに投宿。

気づきと学びの多い、有意義な1日になりました(^-^*)

 

続きはこちら DAY:2-1

 

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2024年5月 9日 (木)

春の東北周遊2024 DAY:1-2 宮城の震災遺構を訪ねて・その2

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

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DAY:0の記事はこちら(旅立ちの様子)

DAY:1-1の記事はこちら(旧・野蒜駅)

 

さて、旧・野蒜駅の散策を終えたあとは、

最寄りの鳴瀬奥松島インターから再び三陸道へと戻って、次なる目的地へ!

 

20240508

 

続いての目的地は、石巻市を通り越した先=南三陸町。

海岸線から少し離れた高台を繋ぐように、新しい無料の高規格道路が続いています。

南三陸町へは三陸道の志津川インターで降りて、中心部へと坂を下って行くわけですが、

その前にと、インターからすぐの場所にあったエネオスで給油をしたんですよね。

 

スタッフさん「いらっしゃいませ~♪」

ボク「こんにちは、お世話になります♪」

スタ「今日はどちらから?」

ボク「グンマからです。震災の遺構を訪ねてまわっているんですけど」

スタ「そうなんですね~。防災庁舎はこの坂を下ったところですよ」

ボク「ありがとうございます!このスタンドは新しめな感じですけど、震災の後にできたんですか?」

スタ「そうですね、ここには元々民家がありましたが津波で流されて・・・」

ボク「えっ!?(゚Д゚)エッ!?」

スタ「更地になってた場所にウチの会社がスタンドを建てました」

ボク「えっ・・・そう言われてみると、周りの景色が違って見えますね・・・」

 

切り立った尾根筋に挟まれたせまい平地に、キレイに整備された土地・・・

付近の高台には、新しめの住宅が点在しています。

そうか、ここは典型的なリアス式海岸線だから、津波の被害も大きかったんだ。

 

スタッフさん「私も当時は、他の場所で勤務していたんですけどね」

 

ここでボクは、さらなる「気づき」を突きつけられました。

この土地で今も生きて生活している方々は、

たとえ「語り部」などとして積極的に発信せずとも、

皆さんが地獄を乗り越えた「被災者」なんだ。。。

 

ボク「そうなんですか・・・でもご自身は被害にはあわれずに?」

スタ「ウチはどうにか。でもそのおかげと言っちゃなんですが」

ボク「・・・?」

スタ「新しい道路もできて、ウチもここでスタンドをやれてますから」

ボク「なるほど!次の津波が来ても物流が止まらないように、高台に道を作り直して」

スタ「そうですね、震災前はなかなか三陸道の工事は進まなかったけど(笑)」

ボク「あ~はいはい!(笑)」

スタ「予算が付いてあっという間に出来上がった!(笑)」

 

現地を見るまでは・・・

いつの間にやら「震災復興特別税」なんて仕組みが出来上がって、

ずいぶんと高い税金を取られて、

「みんな土建屋と政治家の儲けになってるだけじゃね??(`д´)ケッ」!

・・・なんて思ってましたけどねw

こうして確実に「次の災害に備える街づくり」に活かされているのなら、

高い税金を取られている意義もあるってもんですかな!ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!

 

さて!

「お気を付けて~」の声に見送られて、再び走り出してすぐ・・・

 

Dsc_0018_20240507203401

 

南三陸311メモリアルの建物に到着です~(^-^*)

公式サイトはこちら:南三陸311メモリアル

 

こちらの敷地は、かの有名な「南三陸町・旧防災対策庁舎」を中心とした、

復興祈念公園の一角にありましてね。

当時の津波の高さ(16.5m)よりも高くかさ上げされた土地に「道の駅・南三陸さんさん市場」も作られ、

生まれ変わった南三陸町の中心部として、とても賑わっていましたよ♪

 

Dsc_0019_20240507203401

 

ただ今回、「南三陸311メモリアル」の展示は実を言うと・・・

野蒜で見た震災被害の実情に打ちのめされちゃって、とても見る気になれず・・・(-.-;)

「時間も無いし・・・」なんて自分に言い訳しつつ、南三陸さんさん市場へと向かいました。

 

Dsc_0021_20240507203401

 

まぁ実際、この時点で時刻は午後1時40分くらいだったかな?

例によってお昼も食べずにここまで来たので、

屋台村の出店で売られていた魚介類の串焼きが、とにかく旨そうでね~!( *´艸`)

 

Dsc_0023_20240507203501

 

昼メシ代わりに、ホタテとカキのオリーブ焼きをげっと~!ヽ(゚∀゚)ノ うぇ───ぃ♪

「酒を持ってこい~!」なんて思いつつw、あっという間に平らげて(笑)、

その後はさんさん市場の商店でお土産などを購入!(^-^*)

 

Dsc_0031_20240507203501

 

そしていざ。

旧・防災対策庁舎へと続く、大きな橋を渡りました。

(ボクにはちょっと勇気が必要でした。。。)

 

Dscn2829

 

この、旧・防災対策庁舎が建っている場所が、もともとの南三陸町の地面なんですけど、

見上げるとホントに大きくて立派な、鉄骨造りの建物でした。

 

Dsc_0042_20240507203501

 

2011年3月11日に、南三陸町を襲った津波の高さは平均16.5m。

ここでは、防災無線で避難を呼びかけ続けて亡くなった、

とある女性職員のことがあまりにも有名ですが、

実は当日、この建物の屋上にも多くの方が避難していて、

そのうち43名の方が犠牲になったそうです。

巨大な津波は、この大きな建物すら丸ごと飲み込み・・・

無残にねじ曲げられた鉄骨が、津波の恐ろしさを雄弁に語っていました。

 

Dsc_0045_20240507203501

 

そっと手を合わせて、犠牲になった方のご冥福を祈り、

ボクはこの場所を離れました。

 

Dsc_0058_20240507203501

 

さてここで、箸休め的なちょっとしたネタをご紹介しますね~♪

南三陸さんさん市場から、国道45号線を渡ってすぐの場所に、

”それ”はありましたよ~(・∀・)ニヤニヤ

 

Dsc_0053_20240509221101

 

”それ”はなんと!

あの「モアイ像」じゃないですか~!(*ノ∀`*)キャッ

 

Dsc_0057_20240507203501

 

どうしてここ、南三陸町に「モアイ像」があるかと言いますと・・・

かつて発生した南米の「チリ地震」のとき、

地球の反対側にある、この南三陸町でも津波の被害が出たらしいんですよね。

で、それをきっかけに南三陸町とチリが友好関係を結び、モアイ像が贈られたんだそうです。

 

ところが・・・

東日本大震災で、その時に贈ってもらった「モアイ像」は流出してしまい・・・

(のちに頭部だけ発見されて、今は南三陸町の高校に保存されているらしい)

街の人たちは幾重にも哀しんだんだそうです。

 

Dsc_0056_20240507203501

 

しかし!それを伝え聞いたチリの皆さんが神対応!∑(*゚艸゚*)オオッ!!

なんと、今度は門外不出のイースター島の石を使い、

イースター島の職人さんによる「本物の中のホンモノ」のモアイ像を、

どどーん!とプレゼントしちゃった!!∑(゚Д゚)スッ、スゲー!!

 

というわけで、この「目が入ったモアイ像」は、

世界で唯一の、イースター島の外にある「本物のモアイ像」だそうで~( *´艸`)プププ

南三陸町の旧・防災歳策庁舎を見学された際にはぜひ、

この「本物のモアイ像」も訪ねて見てくださいね☆

(さんさん市場のすぐ近くなのに、ほとんど人がいなかったのがちょっと気になるな~^-^;)

 

続きはこちら DAY:1-3

 

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2024年5月 8日 (水)

春の東北周遊2024 DAY:1-1 宮城の震災遺構を訪ねて・その1

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*この日記は、2024年5月2日夜~6日にかけて巡ったツーリングの記録です。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね☆

DAY:0の記事はこちら

 

2024年5月3日(金)、晴れ!

この日は、宿泊した「ルートインいわき泉駅前」を出発して、

とりあえず常磐道~三陸道を北上するルートです。

 

途中でちょっとした渋滞はありつつも(それでも東北道よりははるかにマシ!w)、

まずは鳴瀬奥松島インターで降りて、JRの旧・野蒜(のびる)駅跡へ向かいました~。

 

Dsc_0002_20240507203401

(JR旧・野蒜駅跡=東松島市震災復興伝承館)

 

この施設は、東日本大震災の津波によって壊滅的被害を受けた旧・野蒜駅を中心に、

東松島市の震災被害の全容を保存するための施設として生まれ変わったんですね。

(現在の仙石線は、ここよりずっと内陸に付け替えられて運行されています)

 

実を言うと、この駅については名前は知っていたものの、

当初はどこにあるかはわかってなくてね~∑(ノ∀`*)アチャー

「次のロングツーリングで宮城県の沿岸部に行くんですよ」というお話しを、

ウチの会社の取引先の撮り鉄社長・Yさんにしたところ・・・

「だったら松島のあたりにある、野蒜駅に寄ってみたら良いんじゃない?」と、

オススメしてもらった施設なのでした~!イイネ♪d('∀'o)

 

Dscn2827

 

さて、伝承館の外壁には、この地点の津波浸水深=3.7mを表す看板が設置されていましたよ。

自分の身長の約2倍の高さまで一気に押し寄せる、水の恐怖!

やはり、圧倒されますね。

 

Dsc_0010_20240507203401

 

建物を通り抜けて裏手に出ると、当時のプラットフォームが保存されていました。

「この場所に確かに駅があったんだ」と、感慨深いものがあります。

 

Dsc_0011_20240507203401

 

敷地内は、もちろんがれきは撤去されていますが、線路その他の鉄道施設は当時のままだそうです。

どんな方々が行き交い、どんなドラマがあったのか・・・なんて、想像が膨らみますね。

 

Dsc_0013_20240507203401

 

そして石巻方面に目をやると、切り通しの崖の間に真っ直ぐ伸びる空間が見えました。

いまはサイクリングロードになっているようですが、間違いなく線路が通っていた場所ですね。

そんな景色を眺めていたら、地元の学生が自転車でのんびりと走り去って行きました。

 

Dsc_0015_20240507203401

 

さて、一通り敷地の中を散策したら、

東松島市の震災復興伝承館の中の展示を見て回りましょうか~!

・・・なぁんて軽い気持ちで建物に入ったら、いきなり被災当時の写真が・・・( ゚∀゚; )

 

Dsc_0008_20240507203401

 

メインの展示は建物の2階にあるとのことで、

階段を上ると、そこには津波で破壊されたSUICAのチャージ機が置かれていましたよ。

この時点で「物見遊山」的な軽い気持ちは吹っ飛びましたね。。。

 

Dsc_0005_20240508201201

 

大きな展示ホールに入ると、2012年6月に撮影された語り部さんのビデオが上映されていました。

そしてこの内容が、ボクにとってはとにかく衝撃的でした・・・。

 

今回の津波の遺体は本当に無残な・・・

キレイな死に顔なんて一つもないですね。

津波にのまれて亡くなった方のご遺体って、

無数のがれきと共に、濁流にもまれて流れ着くじゃないですか。

だから、目は潰れ、口は裂け、鼻も耳も取れてしまって、

パッと見ても誰なんだかわからないんです。

中には、お腹が裂けて内臓が飛び出てしまってる人なんかもね。

そんなご遺体が何百と並べられていて、

誰も身元なんてわからないから、一人ひとりに番号を付けてあるんです。

840番、841番・・・と、写真を見ながら自分の身内を探していくんですね。

 

・・・とまぁ、ビデオはこんな感じの内容でした。

見ていたボクは、途中で涙が止まらなくなってしまって。

「津波の被害で何万人もの方が亡くなった」とわかったつもりでいましたが、

「津波で死んだ人がそのあとどうなるか」なんて、考えたこともなかった。

 

運良く生き残った方々も地獄を見て、嘆き悲しんで、苦しんで・・・

それでも生きて今がある。

今のボクにそんな「現実」が降りかかったとしたら、

真正面から受け止めることができるのかな。

 

他に、津波で奥様を亡くされた方の体験談も紹介されていました。

 

一度はね、家内と一緒に安全な高台まで避難したんですよ。

でも後から避難してくる人の中に、犬を抱えてきた女性がいましてね。

それを見た家内が「私も犬を連れてくる」と言いだして。

当日、息子から犬を預かっていたので、それを不憫に思ったのでしょう。

強く引き留めれば良かったのを、「早く行ってこい」と送り出してしまった。

それが家内との、今生の別れでした。

 

この男性は、おそらくこの場面を何百回も何千回も思い出して、

後悔して、後悔して、後悔して・・・いまも苦しんでいらっしゃるのかな。

そんな心中を察すると、ほんとにやりきれない思いです。

 

 

 

津波が来るとわかったら、とにかく逃げる。

できるだけ遠く、できるだけ高い場所へ。

とにかく逃げること。

そして、逃げたら引き返さない。

命より大事なモノなんてない。

 

 

 

ビデオの中で、何度も繰り返して訴えていたことです。

この国に住んでいる限り、いつかまた必ず津波は襲ってきます。

ボクは津波で酷い死に方はしたくないし、

身内や友人、知り合いにも酷い死に方はして欲しくないので、

このメッセージをここに書き留めておきたいと思います。

 

続きはこちら DAY:1-2

 

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