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羽幌炭鉱探訪記2013

2024年7月20日 (土)

北海道の産業遺産・廃墟探訪記2013 その3

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*この記事は、2013年9月21日~23日にかけて巡った、

 北海道の産業遺産と廃墟の探訪記をまとめたものです。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね♪

 

☆その1の記事はこちら

☆その2の記事はこちら

 

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さてさて!

羽幌炭鉱の廃墟群を堪能したところで、旅はまだまだ続きますよ~(^-^*)

羽幌のタクシー会社から苫前町へと戻り、続いて訪ねたのは・・・

 

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苫前町の郷土資料館です!

実を言うとここに寄ったのは、当時の彼女のリクエストでしてね~( *´艸`)

彼女のお目当ては何かというと??

 

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「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」の展示資料を見学すること~!∑(*`ロ´ノ)ノ

 

「三毛別ヒグマ事件」とは、

1915(大正4)年12月9日~14日にかけて発生したヒグマによる獣害事件のことである。

エゾヒグマが開拓民の集落を2度にわたって襲い、

死者7名・負傷者3名を出した、日本史上最悪の獣害事件と言われている。

詳しくはこちら:三毛別羆事件(Wikipedia)

 

それで、当時の彼女がなんでこの事件に興味を持ったかと聞いたら、

吉村昭の小説「羆嵐」(くまあらし)を何かで読んで知ったらしいんですよねw

それで、北海道旅行に行くんだったら苫前町のこの施設に行ってみたい、という話しになり、

しかも隣町には、ボクの憧れの場所だった羽幌炭鉱があるわけですから!(・∀・)ニヤニヤ

とんとん拍子に旅行計画が決まったんでしたっけね。懐かしいな~(笑)

 

Dsc_0219_20240714200901

 

ところで上の写真は、苫前町の郷土資料館に展示してあったヒグマの剥製ですが、

ま~ものすごい迫力でしたよ!( ゚∀゚; )ヒョー

特に手の爪なんてね、1本1本がちょっとした果物ナイフくらいの大きさがありましたから!(´゚Д゚`)ゲッ!

あれで襲われたとしたら、そりゃあ無事じゃ済まないよな~(^-^;)

最近は、全国各地でクマの被害が多発しているようなので、

ツーリングや鉄道写真、廃墟探索などで山奥に行く際は、

お互いに充分に気をつけましょうね~ヽ(´▽`)ノ

 

ちなみに「三毛別ヒグマ事件」について詳しくお知りになりたい方は、

ぜひWikipediaの記事や、吉村昭の小説「羆嵐」を読んでみてくださいませ。

というのも、あまりにも凄惨で地獄絵図のような出来事で・・・

申し訳ないのですがボクには書けません。。。悪しからず~( ;^ω^)

 

Dsc_0230_20240714200901

 

続きまして。

苫前町から日本海オロロンライン(国道239号)を南下して次に立ち寄ったのは、

小平町の「鰊(ニシン)番屋」でした。

今でこそ道の駅として多くの観光客で賑わってる場所のようですが、

当時はまだ史跡の「旧・花田家番屋(鰊御殿)」があるだけで、

あまり観光客の姿は見かけなかったような記憶がありますね~(^-^;)

 

Dsc_0233_20240714200901

 

ところで、北海道の開拓の歴史を語る上で、

『鰊(ニシン)』と『石炭』は重要なキーワードとして挙げられるかと思います。

 

例年、春先の2月~3月にかけて、北海道や青森県、秋田県あたりの日本海沿岸部には、

産卵のために大量のニシンが押し寄せる『群来(くき)』と呼ばれる現象が見られました。

春のニシンは身に脂がのっていて、食用としての需要はもちろん、

まだ化学肥料の発達していない時代にあって、

農地の土壌改良をするための「肥料」として、全国各地で飛ぶように売れたんですよね!

それに目を付けた漁師達が定置網を仕掛けて、文字通り『一攫千金』を狙った。

仕掛けた定置網にうまくニシンの大群が入ってくれれば、

わずか2ヶ月の漁期で、現在の価値に換算して1億円以上の売り上げが出た!というんですから、

そりゃぁ多くの人たちがこぞって「ニシンドリーム」を目指したことでしょう!(笑)

そうした漁師達=「ヤン衆」を束ねる網元や船主が、自分の威勢を競って建てたのが「鰊番屋」で、

一つの鰊番屋に100人以上のヤン衆たちが共同生活を送っていたそうですよ。

 

Dsc_0229_20240714200901

 

鰊番屋は、この小平町にある「花田家」の他に、

秋田県の遊佐町にある「青山家」なども有名ですが、

当時の建物としては破格の大きさを誇る、見事な造りが印象的なんですよ~!イイネ♪d('∀'o)

以上、小平町の「鰊番屋」のご紹介でした(^-^)b

*余談ですが、ヤン衆がニシン漁の船上で歌っていた唄が、北海道の民謡「ソーラン節」です♪

 

そして、この日の旅はさらに続き・・・

 

Dsc_0235_20240714201001

 

夕闇の迫る中で訪ねたのは、残念ながら今は廃線となった、

留萌本線の『真布(マップ)駅』です!

ここでのネタ写真は・・・

 

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『真布でマップ!』(*ノ∀`*)キャッ

そう。。。このネタのためだけに、

ツーリングでもないのにツーリングマップルを持って行きました~!(笑)

 

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そしてさらに、駅ネタは続きます~!Ψ(`∀´)Ψ

この日の最後に訪ねたのは、

アイヌ語由来で数々の難読駅がある北海道でも、指折りの難読駅名、

「北一已(きたいちやん)」駅です!(=^-^=)ニャハハ!

 

Dsc_0239_20240714201001

 

ここで、極めて個人的な話しをさせていただきますと。

ボクには「北井さん」という知り合いがいましてね、

この駅名表示ははじめ、「きた・いちやん」ではなく「北井ちゃん」にしか見えなかった!w

そんなことが引っかかってて(笑)この駅を訪ねてみることにしたのですがww

 

しかし、その後に調べてみると・・・

『北一已』とはアイヌ語で『サケ・マスの産卵場』を意味する『イチャン』を語源とするが、

開拓にあたった屯田兵が『北の大地で一にして已む』という意味を込めて付けた地名だと、

何かで読んで知りましてね・・・とても心を動かされたんです(^-^*)

 

*注記:『已む』は『やむを得ず』の漢字表記で、

 ほかにどうすることもできない、しかたない。。。といった意味になります。

 

翻って当時、この地に入植した屯田兵たちは、

『死して後、已む(死してのち、やむ=死ぬまで努力し続けること)』の故事を引用して、

「この地に始まり、ここで成功する以外に道はない」という覚悟を込めて

「北一已」という地名を名付けたわけですね。

 

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そんなわけで、とっぷりと日が暮れた後に訪ねた「北一已」駅。

いろいろな物語が頭の中を駆け巡って、今でも忘れられない小さな無人駅のお話しでした(*^-^*)

 

それにしても、いまこの日の旅を振り返ってみると・・・

廃線・廃墟・ダークツーリズム・産業遺産・秘境駅・難読駅と、

ネタ満載のとんでもなく「濃い一日」だったんだな~!ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ!

 

以上、思い出深い、2013年の北海道旅行のレポートでした☆

 

~ おしまい ~

 

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2024年7月18日 (木)

北海道の産業遺産・廃墟探訪記2013 その2

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*この記事は、2013年9月21日~23日にかけて巡った、

 北海道の産業遺産と廃墟の探訪記をまとめたものです。

 よろしければ最初からお楽しみくださいね♪

 

☆その1の記事はこちら

 

Dsc_0190_20240714200801

 

さて、築別坑のホッパー台に続いて案内してもらったのは、

同じ築別地区にあった「旧・太陽小学校」の跡地です。

ここでは、立派なドーム型の体育館が印象的でした。

 

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どうですか、この特徴的な天井の梁!

キレイな紋様を描いていて、見事な造りですよね~!∑d(゚ェ゚d )イカス!!

でもこの体育館・・・聞くところによると、2018年の大雪で潰れてしまったそうで、

そう言われると今では貴重な写真なのでしょうか。

 

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さらに続いて訪ねたのは、築別坑で働く人たちのためのアパート群!

鉄筋コンクリート造りの4階建て、大きくて立派な建物がたくさん残されていましたよ。

 

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いわゆる「鉱山住宅」というと、八幡平の松尾鉱山の廃墟アパート群が有名ですが、

保存状態で言うとこちらの方が断然、きれいな姿を保っていますでしょうか。

ガイドさんの案内でいくつか部屋の中も見学したのですが、

当時の新聞や雑誌などが残されていた部屋もあり、

新聞のテレビ欄を見て「あ~この番組覚えてる~!」なんて、ちょっと盛り上がりましたっけね☆

ちなみにここの入居費は、家賃のほか水道光熱費もすべて会社持ちだったそうで・・・

炭鉱って儲かっていたんですね~(笑)

 

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さてさて!

築別坑の小学校や鉱山住宅があったエリアから移動して、

ついに羽幌本坑の選炭工場跡へとやって来ました~!ヽ(^ω^)ノ

 

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工場の内部は、4階層くらいの構成だったんですかね~?

そこにあったはずの機械類はすべて撤去されてしまっていて、

ガランとした空間だけが広がっていましたよ。

 

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もし仮に「実際に稼働している炭鉱の選炭工場」を一度でも見たことがあれば、

どこにどんな施設や機械があって、どんな風に石炭が運ばれていくのか・・・イメージしやすいんですけど(^-^;)

実は今でも国内で石炭を掘ってる鉱山はあるのですが、

(釧路コールマイン=詳しくはこちら:釧路市ホームページ)

工場見学会でもなければ、選炭工場の中を見ることはできないでしょうしね~w

まぁこればっかりは仕方ないか~!┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

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そしてその後、選炭工場の屋上に出たら、

さらに山奥にそびえ立つ羽幌炭鉱の立坑櫓が見えましたよ!∑(゚Д゚)スッ、スゲー!!

今回のツアーでは、時間の都合で立坑櫓の中には入りませんでしたが、

いつかまた訪ねて見てみたいですね~( *´艸`)

 

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以上、羽幌炭鉱跡のレポートでした♪

 

~ つづく ~

 

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2024年7月16日 (火)

北海道の産業遺産と廃墟探訪記2013 その1

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(小平町の鰊(ニシン)番屋前のモニュメントにて。撮影日:2013.9.22)

 

突然ですが・・・最近、以前に松尾八幡平の廃墟群でお会いした、

廃墟好き女子さんとのコメントをやりとりする中で、ふと気付いたのですが。

そういえば、ちゃんとした記事にまとめていなかった「廃墟探訪ネタ」があったな~と、

思い出した旅がありましてね(^-^;)

それは今から11年前。

2013年の9月21日~23日にかけて巡った、

北海道の羽幌炭鉱跡の思い出です!( *'д')bイイ!!

 

このブログ「風に吹かれてバイク旅」は、2014年の12月から書き初めていますので、

(バイクのブログ自体は2011年から書いています←当時のブログはサービス終了で消えましたけどw)

要するに『お蔵入り』していたネタの復刻版の記事ってことで、よろしければお付き合いくださいね♪

 

-----

 

2013年9月22日、晴れ!

この日は、宿泊していた旭川市内のホテルを出発して、日本海側の苫前町へと向かい、

かつて隆盛を極めた「羽幌炭鉱」の産業遺産群を訪ねて廻る予定を立てていました。

 

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まずはこの日の朝一番の立ち寄りスポットは、JR宗谷本線の『比布駅』!イイネ♪d('∀'o)

(今回あらためてGoogleマップで調べたら、今はキレイな駅舎に建て替えらたんですね)

 

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ちなみに、なんでこの駅に立ち寄ったかというと。。。昭和な皆さんは覚えてますよね!?

そう!「比布」と言えば「ピップ」!(笑)

 

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CMでも使われた、この「比布でピップ!」のネタ写真を撮るためだけに、

ウチからピップエレキバンの箱を持って行ったという・・・(・∀・)ニヤニヤ

当時付き合っていた彼女も、ノリノリで撮影してくれたのが良い思い出だな~(*ノ∀`*)アハッ!

 

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で、そこから日本海側へと出て、苫前町の入口にあった巨大なクマのオブジェでパシャリ♪

(なんでここで「クマ」のネタかというと・・・この話しは後の記事で出てきますのでお楽しみにw)

 

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ところでこの日の北海道の日本海側(苫前町)は、穏やかですごく良い天気でしたね~♪

羽幌の沖合に浮かぶ「天売(てうり)島」と「焼尻(やぎしり)島」も、キレイに見えていました。

 

それで羽幌町に着いたところで、羽幌炭鉱のガイドツアーを申し込んであったタクシー会社に行き、

タクシーに乗り換えて出発!

(羽幌炭鉱へのガイドツアーは、羽幌町の(株)沿岸ハイヤーさんに要・事前申し込み)

ちなみに羽幌炭鉱は、羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3つの炭鉱で構成されていたのですが、

最初にそのうちの「築別(ちくべつ)坑」から訪ねてみることにしたのでした。

 

さて、羽幌町内から国道232号(日本海オロロンライン)~道道356号へと進み、

まず最初に見えてくるのは、羽幌炭鉱鉄道跡に残されているいくつかの鉄橋です!( *'д')bイイ!!

大きく蛇行しながら流れる築別川を連続して越える橋梁群は、

下流側から第一橋梁、第二橋梁、第三橋梁と続くのですが、

特に見ていただきたいのは、この第二築別川橋梁!!

 

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いかがですか!?

2本のプレートガーター橋の「厚み」が違っているのがわかります??(*ノ∀`*)キャッ

羽幌炭鉱の採掘が始まり、炭鉱鉄道が敷設されたのが1940(昭和15)年。

その後に勃発する太平洋戦争へ向けて、あらゆる物資が不足し始めていた時代のなかで、

各地からあり合わせの(中古の)鉄橋をかき集めてきたんでしょうね~!

「鉄橋の高さを揃えるために、土台の方で帳尻あわせをする」という、

今では考えられない技術者の苦労が偲ばれます(^-^;)

 

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さらに第二橋梁を詳しく見ると、

鉄橋の高さを揃えるために古いレールを組み合わせた足場も置かれているんですよね。

このレールには、官営八幡製鉄所のマークと「1913」の刻印が見て取れました(矢印と赤線の部分)。

官営八幡製鉄所の操業開始は1901(明治34)年ですから、

わりと初期の生産品であることが解りますね~。

 

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さて、道道356号をさらに進むと、すぐに次の第三橋梁が見えてきますよ~。

こちらの鉄橋も、あり合わせの部材をかき集めて作られたようで、色も形もバラバラですね(笑)

 

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そしてさらに、上の写真の反対側から第三橋梁を見た写真がこれですが(奥の水色の橋が道道356号)、

なんと!鉄橋の厚みだけじゃなく、長さもバラバラだから、

コンクリート製の橋脚も見事に間隔がバラバラ!∑(ノ∀`*)アチャー

図面がどうのこうのと言う前に、完全に現物合わせの荒技ですわ~(^-^;)

一人の鉄橋ファンとして、この「珍品」に大興奮したのを良く覚えています!(笑)

 

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さて、そのまま道道356号を進んで行くと、築別坑のホッパー台が見えてきましたよ!( *'д')bイイ!!

とはいえ、これは今から11年前の写真ですから、現在はもっと藪に埋もれちゃってるかな??

壁面の「羽幌鉱業」と書かれた看板が誇らしげです!

 

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そして、こちらはホッパー台の内部の様子です。

ボクが立ってる位置に石炭を積む貨車を入れ、上から石炭を落として貨車に積むんですね。

鉱山のホッパー台というと、グンマの長野原にある「太子(おおし)駅」のモノが有名ですが、

冬場の自然環境の過酷さが考慮されているのか、こちらの方がより頑丈な造りになっている印象でした。

 

続きはこちら:北海道の廃墟探訪記2013 その2

 

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